ベンジャミン・フランク見ました
あぁ~見てくれてる人達が少なくなってるぅ
(笑)やっぱり日記なんだから毎日載せないとダメなのかなぁ
でもペタしてくれた人や覗いてくれた人ありがとうです
普通日記は見られたら嫌な感じになるけどブログはその逆になるのは本当対照的ですね
ありきたりな事言ってスミマセン

本題に入る前にコメント頂いたのでここで返答したいと思います

洋画の字幕版と吹き替え版に関しての事だったんですが、僕も吹き替えで見るの好きです

日本はアニメが他国に比べて進んでるせいか声優さんのバリエーションがとても多くその点だけで評価ができるくらいだし、何よりタイムラグによるもどかしさが無い事とコメディタッチな表現をする場合はその場面の一番重要な位置に存在すると思います。個人的に
(笑)でも映画館で見るとなると……字幕で見ます
(笑)始めに言った吹き替えのメリットに当てはまるような内容の作品は映画館ではなくレンタルされるかDVDを買う形で鑑賞します

これは僕の勝手な独断と偏見なんですが、ある意味吹き替えにしろ字幕しても表現に何かを加えてるという点では既にオリジナルではないかなぁと思ってる所があって、やっぱり映画で見るならオリジナルに近い形で見たいと思っていて吹と字でなら字の方が近いかなぁと思ってますね

理由は字幕は訳す以上に「道標」的な存在があると思っていて、そもそも外国語で表現する内容を完璧に訳す事は不可能な事で、受け取る側がある程度解釈する必要があってそこに異文化の人のもっと深い意識を理解できたり共感する所に洋画の面白さがあったりするからです
(それが個人の勘違いでも理解しようとする事自体が面白いですね
)あと吹き替えだとメリットだけじゃなくデメリットも確実に存在してる感じがするからです

それは上記の字幕のメリットが欠如する事と、必要じゃない表現が強要される感じがするからです

分かりやすい話、ニュース番組で裁判の経過を字と吹でしたりしますが被告がどんな感じで話してたなんて傍聴するくらいしか確実に個人が理解する事はできないのにとっても低い声でいかにも「罪人」って感じで吹き替えしてるような感じがします
(容疑者のうちはまだ犯人だって決まってないのにね
近いうちに「それでも僕はやってない」の感想載せたいと思います
)映画の場合も流石にニュース番組ほどじゃないですが同じ事が言えると思います

それは「受け取る側の自由」という解釈を依託するような表現にはオリジナルな内容が重要になってくると思うしその場合僕はやっぱり字幕の方がいいですね

早い話「考える」という行為を停止させられてる感じがするのが嫌なんです

でもDVDやBDで見る際はどちらも見るんですけどね
(笑)そのせいで映画を見た日はそれで終わっちゃうよぉ
(泣)十分充実した日になるんだけどね
やっと本題に入りまぁす
(笑)「ベンジャミン・フランク」は前に載せた2つの作品の前に見た作品で一番最初載せれば良かったんですが見た作品をすぐに載せたかったんで遅れちゃいました

この話は自分でも久しぶりに味わった感覚のある話でなんというか…僕は映画が終わり、劇場を出て帰路に着く時に何かじわっとくるこの感じ。
内容ともあれ、ただ泣かせるというような宣伝文句の作品に安易に「感動」という言葉を使用するからこの言葉の価値が無料配布の様ににあるが、あの感覚は本物のそれだった。
内容にあんまり触れるのは×なんであんまり話しませんが、話しのスタイルはトム・ハンクスの「一期一会」の様な一人の生涯を通して何かを…って感じなんですが、コンセプトが老いるという森羅万象の法則を遡るという存在がいたら?って内容であまりに新しい話しに色々な結末や間のアクションを憶測をしてしまいそうになるし、結末や話の道中での結果にその作品のメッセージや伏線を集結させたがる話が多いが、それだけでなくこの話は話の中の一つ一つに考えさせられ、メッセージがあると思う。
CM等の宣伝で「人生は素晴らしい」という陳腐な言葉が使われているが、内容が重厚で当て嵌まるような言葉が無いんだと思う。故に見たものだけがその言葉の見え方が変わると思う。この感覚は見た者だけが知ってるかな

邦画で似たような感じで宣伝された作品は有名なのでは「もののけ姫」かなぁ

まだこれを言うのは早過ぎるかもしれませんが、今年の上半期で一番の作品だと思います

話だけでなく特殊メイクやそれに伴うブラット・ピットの演技がヤバ過ぎでした

以上の感想で興味が湧いた人は御覧になってはいかがですか?

次回は「感染列島」「クライマーズハイ」「アフタースクール」のどれかについて載せたいと思いまぁす

最後に最近掲示板とかで意見を述べる事が多かったんですが、身を引きたいと思います。僕の事に返答してくれたのに反さないのは良くない事ですよね
スミマセン
でもこれだけは言わせて下さい。
終わる事のない討論のループに屈したわけでなく、言った所で全くもってノンフューチャーで哀れなプロレタリアに悲観したことを。