御榊壇 | 笠哲哉ブログ

御榊壇

学習院には御榊壇という祭祀施設があり明治42(1909)年 明治天皇が目白の新校舎に行幸になった際の天覧の榊を乃木院長閣下が翌年3月 周囲に石を巡らして築いた前方後円の壇で円壇を囲む石の一部は 乃木院長閣下が当時の国境から集めたものである
戦後 学習院は占領軍の一部に解体論もでたように 陸海軍に進む事が奨励せられ 皇族殿下はじめ多くの先輩が「死して目白ヶ丘の桜と咲かん」を合言葉に 護国の英霊となった 少なからず 出征の前 この御榊壇に参拝なさり 国境よりの石で築かれた御榊の御前に 皇室弥栄国家安康世界平和の捨石となるを誓い 現実に戦死なさった
占領軍の目や 無理解の世論をはばかって 一時期 存在を隠蔽するむきもあったが 現在は広報や公式ホームページにも紹介されている
私は平成元年より学習院補仁会( 会長 内籐学習院長 当時)の理事を拝命 学内機関としての正規の祭祀を務め 後には 学校法人学習院の評議員の指導下 御榊壇への御奉仕ができたという幸運に恵まれた 先帝陛下諒闇の後は神社本庁からも祭祀への参列を迎え その際は既に 法人 大学管理課への諸先輩の御尽力の成果として 周辺整備と直会が出来る 座所の設置も済み 恥をかかずに済んだ