日曜日は「 心と体が喜ぶ癒しフェスティバル 」でした
ご来場頂いたみなさん
ありがとうございます 
素敵なオリジナルのオルゴナイトばかりで
子供も
大人も
それぞれ楽しんでもらえたかなって思っています 
自分が一番楽しんでいたかもしれませんけど…(笑)
そして
リブログさせて頂いたマキさん
実は昼休みに見て頂いたのです 
ある悩みがありまして
それはボチボチと話していきますが…
最後に
私の右肩あたりを見て
父方の祖父が守ってくれていますよって
聞いたと同時くらいに
私の制御できないところで
涙が出てきました 
油断すると号泣しそうで
話すと言葉にならず…
中学生くらいから結婚するまでは
祖父の存在を感じていたこともあったけど
結婚してからは あまり感じなくなったので
あったと思います ( 義理母と兄のことなどで )
守護霊交代したのかと思っていたんです
少し寂しかった 
靖国神社の遊就館に 初めて行ったのは 戦後70年の節目の日
そのときも制御不能の涙が出て
嗚咽しそうなくらいだったのは
わたしではなく祖父の涙だったのでしょうね
祖父は42歳で亡くなっているので
会ったことはありません
遺影の写真が 軍服を着て
サリーちゃんのパパのような髭で ( 同世代の人しかわからないなぁ)
頭はスキンヘッドで こわ~い顔しているので
小さい頃は写真なのにまともに見られませんでした
祖父の話は
厳しい人でこわかった とか
戦地から帰ってきてからは呑んだくれていたとか
マイナス要素の情報ばかり
酒代は 軍服についていたバッジ ( 本当の名前はなんだったけ?)
遺影の写真には つけるところがないほどあったのに
今は手元にはひとつもありません
家、土地まで売ったのか家族は転々としていたようです
それなのにシェパードを飼っていて
祖母は その犬を売りに出していたというから 2度ビックリ
買ってくれる人などおらず 結局 飼っていたようです
祖母の犬嫌いはここからきているみたいです
生前 うちで飼っていた犬を見ては
「 犬はご飯は食べるけど稼いでこない 」
( 津軽弁だとわからないので標準語にしてあります )
と口癖のように言っていました
今、手元に残っているのは
昭和天皇から賜った桐の箱に入った盃だけです
プラスの話は
戦争する前は 今で言うと社会先生だったそうです
私も 息子達も
なぜか社会の成績だけ飛び抜けていいのは
祖父のおかげなのかもしれません 
母方の祖母だけは「 本当は立派な人なんだよ 」って言っていました
戦争で何があったのかは 今ではわかりません
でも お酒を浴びるほど飲んでも
頭から離れない出来事があったんだろうな
私が靖国神社などに行くことで
祖父が喜んでくれるのなら 年に1回は必ず行こうと思いました
「 東郷神社 」にも 行きたいと思っているだろうな
自分の息子に ( 私の父 ) 同じ名前をつけるくらいですからね
昨日から祖父に語りかけています
会ったことはないけれど
確実に繋がっているんですね
わかってスッキリしました 
マキさん
最高最善のメッセージ
ありがとうございました 
