町田市

東京都 多摩南部の市

多摩川以南に位置する商業都市で、人口は東京都内では東京23区・八王子市に次いで3番目(市町村では2番目)に多い。

1960年代以降ベッドタウンとして発達したが、依然市内各所で農業が行われている。バブル経済期以後には、東京都区部からの私立大学の転入が進み、市内には現在も私立大学や一貫校が点在するなど、「青年の街」の色も見られる。

細長い市域全体が神奈川県側に大きく突出しており、東京都内の隣接自治体である多摩市や八王子市とは同じ南多摩地域にありながら丘陵で隔てられていることから、もっぱら神奈川県域との交流が盛んである。日本で唯一、3つの政令指定都市(すべて神奈川県の横浜市・川崎市・相模原市)に接している自治体でもある。

1960年代初頭より東京都区部郊外のベッドタウンとして開発され発展した
町田駅を中心とした原町田地区は、小田急線沿線および横浜線沿線を代表する繁華街で、百貨店や専門店等が多く林立する一大商業ゾーンとして著しく発展しており、商業都市の一面も持つ。国道16号・246号線や鎌倉街道などにより東西方向・南北方向との道路交通の便もよく、神奈川県北部も含んだ多摩地域南部(南多摩地域)の商業の中心地である。飲食産業はここ数年で立川市とともに成長している。また南多摩地域・相模原市・横浜市北部・川崎市西部・座間市・大和市などを含む、商圏人口200万人とも言われる相武経済圏の中心的な役割を、相模大野などとともに負っている

立川を中心とする北多摩地域とは多摩丘陵や多摩川で隔てられていることや、都心部とは距離があること、古くから鎌倉街道や絹の道の中継点であった関係で、八王子市など同じ南多摩地域や、神奈川県の横浜市北部、川崎市西部、相模原市の「上段」地区などとの結びつきが強い。特に、相模原市の市街地は近接していることから、町田・相模原両市を併せて国の業務核都市に指定されており、業務など諸機能の立地促進が図られている(同様に、相模原市は神奈川県内他地域よりも、町田市・八王子市をはじめとした南多摩地域との結びつきが強い)


市内や近辺には大学や短大、高校など学校が多く、町田駅付近の繁華街は学生を中心とした若者の街に変わりつつある。若者向けの新しい商業施設は駅周辺のビルのテナントとしてだけでなく、駅周辺の商店街にも多く存在し、乾物屋などを中心とした町田街道絹の道以前からの活気ある商店街にも溶け込み、独特の雰囲気を持つ繁華街を作り上げている。
また町田駅周辺は、地元にいながら渋谷や原宿、秋葉原などの文化を感じ、楽しむことができる場所として、「西の渋谷」「西の秋葉原」(この場合の西とは東京西部という意味)などと呼ばれることも多く、実際に若者向けの衣料品店や飲食店、ゲームセンター、アニメ・漫画・ゲーム専門店などが多く、近隣では少ないメイド喫茶も出店されている

東部の玉川学園前駅周辺は、幼稚園から大学まで一貫教育の玉川学園を中心に住宅地が広がっており、学園都市とされている。
無計画に宅地造成がされた地区も多く、そういった場所では旧来からの狭い道路や行き止まりなどがあり、自動車がこれを避けて鎌倉街道や町田街道等の幹線道路へ集中するが、拡幅工事が未完了で未拡幅区間がボトルネックとなり、幹線道路への流入車が毎日のように渋滞を引き起こす。特に都県境部分では整備が遅れているほか、山や丘の両面から開発された場所の道路未接続も多い。


市内には、UR都市再生機構(旧・日本住宅公団)や東京都住宅供給公社の大規模団地を初めとした、大小様々な団地や集合住宅が点在する。これら団地の住民数は、町田市の人口総数の1割以上を占める。現在では団地住民の定住化と共に少子高齢化が進み、それら団地を中心とした学区域の小学校では合併や廃校が行われると同時に、新興住宅地では新設も行われている。同時に、政策として「車椅子で歩ける街づくり」を進めるなど社会福祉が充実し、各地から視察団が訪れる。
1980年代からは、薬師台などに見られるように、土地区画整理事業により大手デベロッパーを中心とする景観を重視した計画的な宅地開発が行われ、21世紀に入り、景観法と町田市景観条例に基づき、市民、事業者、行政の協力による景観づくり[5] が重視されてきた。

タヌキやテンなどの野生動物のほか、周辺の地域で数を減らし続けているムササビ、ニホンリス、カヤネズミなどの希少動物も見られる

町田の東京都区部へのアクセスが注目されて以来、現在まで不動産・住宅開発の進出も激しい。都市計画がない状態で進められた、旧来の地形を省みない開発や建設がかえって町並みの調和を破壊している地域も存在する。1990年代以降では、水害時に備えるための私有の洪水調整池を無理に埋め立てる手法や、谷戸上部の山地を切り開く手法で大規模マンション開発が行われた箇所が存在し、災害対策や日照権問題などそれ以前からの地元住民とトラブルが発生した事例も存在する。
近年では、市の大部分にあたる多摩丘陵のうち、市域北部の上小山田町から小野路町・野津田町までの地域(概ね芝溝街道と尾根幹線道路に挟まれた地域)を北部丘陵とし、自然保護と農業活性化を目的とした取り組みや休耕田の整備のほか、宅地開発の抑制などが行われている

人口43万人
 

沿海州

ロシア

19世紀後半から20世紀初頭にかけてロシア帝国が極東地域(極東ロシア)においていた州である。日本語名の「沿海州」は、ロシア語名「プリモーリエ(Приморье)」の訳語である。

沿海地方に分裂される以前の沿海州は、極東ロシアの日本海沿岸、シホテアリニ山脈の一帯とハンカ湖沿いの平地を合わせた領域で、現在の沿海地方とハバロフスク地方南部を合わせたものであった。
 

ベトナム

東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。ASEAN加盟国、通貨はドン、人口9,250万人(2014年末)。

1802年に現代とほぼ変わらない領土でベトナムを統一した人物は、阮朝の創始者の阮福暎(嘉隆帝)である。

長い歴史がある

フランス植民地

太平洋戦争後独立

インドシナ戦争 

ベトナム戦争

カンボジアベトナム戦争

ASEAN加盟

フォンニャーケーバン国立公園世界遺産

ベトナムは長い歴史の中、中国の歴代王朝から繰り返し支配と侵略を受けた

最近では南シナ海にある南沙諸島(ベトナム語名チュオンサ諸島)・西沙諸島(ベトナム語名ホアンサ諸島)の領有権問題も抱えている

中華人民共和国とは陸続きのため、最大の貿易相手国であり、中国製品(Made in China, Made in PRC)も多く流通しているが、ベトナムでは華人(主に漢民族)が急増し、不法滞在・不法就労も多発していることから、過去の侵略された歴史を含めて、反中感情を抱く者は非常に多い。

大韓民国は、ベトナム戦争時に「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」のスローガンの元でベトナムに出兵し、ベトナム共和国を支援するアメリカ合衆国側の軍隊として延べ30万人の大韓民国国軍が参戦した。また、戦争中にゴダイの虐殺やタイヴィン虐殺、ハミの虐殺やタイビン村虐殺事件やフォンニィ・フォンニャットの虐殺等、数々の民間人に対する大量虐殺事件を起し、ベトナム人女性や少女に対して強姦を行った。また、多くのライダイハンが産まれてしまい、その子供は、ベトナム国内で差別の対象になっており、2013年現在でも、正確な人数が判明していない。

1998年にベトナムを訪問した韓国大統領金大中はベトナム戦争時の韓国軍の虐殺や強姦について「ベトナムの国民に苦痛を与えた点について申し訳なく思っている」とする謝罪の意を韓国大統領として初めて表明した

アメリカは1973年のパリ和平協定の戦時賠償事項を、2015年現在に至っても全く履行していない。

第二次世界大戦末期大量の餓死者を出した

ODAは日本が最大の支援国

本田のスーパーカブが人気

世界銀行の統計によると、2016年のベトナムのGDP(国内総生産)は2,052億ドル。一人当たりのGDPは2,060ドルである

労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲得源となっている。

コーヒーは、現在ではブラジルに次いで世界第二位の生産量(99万トン、2003年)に達している

ベトナム語が公用語


最近の若年者の教育は英語教育が一般的になり、町の看板などを見渡してもベトナム語以外では、欧米人観光客向け(観光客相手に生活していく上でも、英語ができないと生活が成り立たないため)に英語が目立つのが、現在の状況である。

食文化
概して米食文化であり、麺類も米粉製が多い。庶民の常食は米飯、麺、粥、フランスパン等である。中華料理とフランス料理の影響を受けている。また、世界第二位のコーヒー生産国であることもあり、独自のコーヒー文化が存在する。

カリフォルニア州

アメリカ

アメリカ西海岸の大部分を占める。州都は、サクラメントである。

アメリカ合衆国の中で最大の人口が多い州

カリフォルニア州は多様な気候と地形があり、また多くの民族が住んでいる。合衆国の州のうちで面積ではアラスカ州とテキサス州に次いで3番目である

面積のおよそ40%は森林であり[4]、比較的乾燥した地域としては森林が多い。

19世紀半ば、カリフォルニア・ゴールドラッシュによって、カリフォルニアでは社会、経済および人口に劇的な変化が起こった


20世紀初期の重要な発展としては娯楽産業の中心としてのロサンゼルスの勃興と巨大な州全体に広がる観光産業があった。豊かな農業に加えて航空宇宙産業、石油産業および情報技術が経済発展に貢献した。

サンフランシスコ・ベイエリアを中心とする北部と、農業が盛んな中部、ロサンゼルス〜サンディエゴ帯を中心とする南部に分かれる。ベイエリアにはシリコンバレーが含まれ、全米で最も経済的に進んだ地域のひとつである。ロサンゼルスはハリウッドを抱えるなど、エンターテイメント産業の世界的中心である。

カリフォルニア州は環太平洋火山帯の一部であり、津波、洪水、旱魃、サンタアナ風(偏西風)、山火事、地すべりおよび幾つかの火山活動など自然災害が多い。南部から西部にかけてのサンアンドレアス断層など幾つかの断層のために比較的震源が浅い地震(直下型地震)が多い。

1913年7月10日に西半球での最高温度 134°F(57℃) を記録した。

人口は36,961,664人と推計 2009年

同州にはかつて、60を数えるインディアン民族が先住していた。温暖な気候と豊富な漁業・狩猟資源に恵まれ、農業は発展しなかった。

インディアンによる初の完全自治運営による短期大学「DQ大学(英語版)」が開校された記念すべき州でもある。この学校は、朝鮮戦争時に連邦政府に没収され、ミサイルレーダー基地にされていたインディアン保留地が以後放置されていたものを返還させ跡地利用したものである。現在、州はこの大学の認定を取り消して廃校処分としており、インディアン学生による抗議運動が続けられている。

インディアン問題が存在する。

2005年現在、5歳以上のカリフォルニア州民の57.59%は家庭で英語を話し、28.21%はスペイン語を話している。以下、タガログ語2.04%、中国語1.59%、ベトナム語1.4%、および朝鮮語1.05%と続く。全体で42.4%は英語以外を話している

2007年時点で州の総生産は約1兆8,120億ドル

セントラル・バレーでは移民農場労働者が最低賃金以下で働いているので最も貧しい地域になっている

アップル ウォルトディズニーの本社がある

スタンフォード大学がある

インディアンの他、世界各国からの移民によって構成されているため、都市部では世界各国の料理(またはそれらをアメリカ風にアレンジしたもの)を気軽に楽しむことが可能である。特にもともとメキシコの領土であったことや、メキシコからの移民が多いこともありメキシコ料理が非常に一般的であるほか、イタリア料理や中華料理、ベトナム料理などが日常的に楽しまれている

カリフォルニアはハワイと並んで、日本人と関係の深い米国の州のひとつである。古くはジョン万次郎、福澤諭吉、勝海舟から、この地を訪れた日本人は多い

サブカルチャーに対して積極的な風土から、日本のアニメ・マンガに対しても関心を持つ者が多く、日本語学習の契機となる例が多く見られる

山都町

熊本県

九州のへそ

熊本県内で3番目の広さを持つ

人口 15000人

宮崎県と接している

江戸時代となり、地方行政の根幹をなす「手永制度」が敷かれた。矢部郷(旧矢部町と旧清和村朝日地区)は「矢部手永」、知保郷(旧清和村小峰地区と旧蘇陽町一帯)は「菅尾手永」として、それぞれに惣庄屋を配して行政治安を司らせた。民衆も惣庄屋と一体となり、地域の発展に寄与した。

肥後細川藩の藩主が、矢部地方に狩りに出かけた際、この地方にある滝の壮大さ・美しさに感動し、藩のお抱え絵師を派遣して、肥後各地の名勝の絵を描かせた(『領内名勝図巻』)

嘉永7年、矢部手永の会所(当時の役場相当)時代には、他の地方と同じように新道や堰、用水路など数多くの公共的インフラストラクチャーが建設された。その一つに、御岳と白糸地区に造られた生活用水や農業用水確保のための通潤用水があり、通潤用水の水を送る石組みの水路橋として築造されたのが通潤橋である。 通潤橋は、阿蘇山や熊本城などと並び熊本県でも有数の観光資源・文化財であり、町のシンボルともなっている。

この頃から肥後と東隣の日向国(現在の宮崎県)を結ぶ日向往還の主要な交易地・交通の要衝として、山都町の中心市街である浜町や馬見原(蘇陽地区)は商家を中心に繁栄していた。

石橋「通潤橋」(矢部地区) 江戸時代に建設された石造アーチ水路橋。放水で知られる国の重要文化財。


滝が70近くある

棚田百選にも選ばれている

馬見原

日向往還の宿場町として栄え、この地を訪れた歌人・若山牧水も「馬見原ハシャレタ町ナリ」と賞賛した。最盛期には何軒もの造り酒屋が軒を並べ、今に残る白壁土蔵造りの旧商家や石垣が、当時のにぎわいを伝えている。くまもと景観賞に選ばれた。

農業が主産業であるが、全国の農山村部と同じく少子高齢化による後継者不足が課題となっている。