刑務所では刑務官のことを何とかのオヤジと苗字のあとにオヤジとつけて呼ぶことがほとんどです。

その時の僕の工場の担当のオヤジが中沢のオヤジでした。

見た目は強面で体ががっちりしていて、刑務官というより職人みたいな人でした。

刑務所では来た手紙は必ず検閲されて本人に渡されます。

検閲された中でも受刑者がその手紙で精神的に不安定になりそうな内容の場合は工場の担当のオヤジも読むことがあるみたいで僕の手紙は中沢のオヤジが読んで、中沢のオヤジから直接渡されました。

その時、中沢のおやじは僕が手紙を読んでる横で目に涙が溜まっていたのです。

正直すごく驚きました

それまでの刑務官は受刑者の事なんか何も考えてなく、むしろゴミのように扱うような刑務官がたくさんいたからです。

僕は懲罰という刑務所の中でもルールを守れないやつが受ける罰を何回も受けていたので仮釈放は諦めていました。

でも、手紙を読んだ中沢のおやじが僕にこう言いました。

「今から歯食いしばって、どんなことも我慢して、お袋さんのために気合い入れてみんかい!そしたらワシが少しでも早く出れるように頑張っちゃる!」

そう言いながら泣いていました。

僕は中沢のおやじを裏切らないためにも、おふくろに間に合うためにもそれから必死にやりました。

そうして中沢のおやじの力もあって、仮釈放を11か月ももらえたのです。

出所の日は平成28年1月27日に決まって、おふくろが一時退院のタイミングだから向かいに行くと手紙が来ました。

おふくろが生きてる間に娑婆に出れることが本当に嬉しくて仕方ありませんでした。

出所当日、とても緊張していたのをよく覚えています。

刑務所の門を出て、迎えが来てる人はそこでみんな待っているのですが、どこを探してもおふくろの姿はありませんでした。

出るときに受け取った荷物の中にまだ検閲が終わってなくて中で受け取ってない手紙があったのを思い出し、そこにおふくろからの速達の手紙もありました。

出所の前日に僕を向かいに行くのに病院の先生から一応検査してからにしましょう、と言われ検査をしたらしいのですが、検査の数値が悪くて緊急に入院になっていたのです。

僕は不安な気持ちを抱えたまま、島根の刑務所から埼玉に向かいました。