龍翁余話(912)「独り暮らし老人救済対策」
全国的に高齢者人口が増えていることはご承知の通り。東京都の発表によると、2020年の時点で東京の高齢者人口は約320万人で、当時の東京の人口約1397万人の約23%だったのが、2025年8月現在では約420万人で、現在の東京の人口約1427万人の約31%に達しているそうだ。国立社会保障・人口問題研究所の調べによると、団塊の世代(先の太平洋戦争終戦後の第1次ベビーブーム期に当たる1947年から1949年頃に生まれた世代)が80歳以上になる2030年には1人で暮らす65歳以上の高齢者が約41%になるのでは、と言われている。
政府は、在宅医療や介護体制の拡充強化など、高齢者の生活を支える仕組みづくりを急ぐ必要があるとの見解で議論を行なっているが、現在、厚生労働省が検討を進める医療・介護制度改革で、病院や診療所で支払う窓口負担や介護サービス利用時の負担の割合を引き上げる議論、つまり“財源をどうするか”の話が目立ち過ぎる。自民・維新の連立政権は物価高騰による病院・診療所の経営難対策、それに伴う診療報酬体系の抜本的見直し――要するに、高齢者の医療費負担を多くして医療機関の経営安定化を図ろうとする政策が先行していることに翁、大いに不愉快な思いをしている。「老人が支払う医療費を上げるのではなく、もっと政治家が使うムダ金を整理して、それを医療機関の“経営安定化”に使え」と言うのが、翁の考えである。
最近の有力新聞で「増加する単身高齢者を”見守る力“を高めたい」とする社説が目に留まるようになった。日本経済新聞の社説(要旨)は「子どもや兄弟姉妹など家族がいない単身高齢者は、家事や金銭管理、受診の判断、行政への相談を代わりに担う人がいないので孤立してしまい日常生活に支障を生じかねない。住宅確保も課題だ。1人暮らしは孤独死を警戒するあまり、入居を断られるケースも少なくない。政府は、安定した住宅が必要な人に自治体が経済支援をする“住宅確保給付金”の拡充を盛り込んだ法案を成立させた。賃貸住宅を高齢者に貸しやすくするためNPOや社会福祉法人などの“居住支援法人”が高齢者に代わって賃貸住宅を借り上げ、入居中も安否確認などのサービスを提供する仕組みも検討している」。
読売新聞の社説(要旨)は「厚生労働省は、頼れる親族がいない一人暮らしの高齢者を対象に、入院や老人ホームへの入所、葬儀を含む死後の事務手続きを支援する新たな仕組みを創設する方針を固めた。来年の社会福祉法改正を視野に、2027年度にも支援を始める。
頼れる親族がいない高齢者を支援する新たな取り組みの1つに民間サービスがあるが、費用が高額なため利用できる人は限られている。全国の社会福祉協議会が金銭管理を支援する事業も、利用は認知症の人らに絞っている。そこで厚労省は、単身高齢者の人生の終盤を幅広く支援する仕組みが大切だと判断した。入院や介護施設への入所は、手続きの代行や緊急時の連絡先の引き受けを対象とする見通しだ。死後事務については、葬儀の手続きや納骨、自宅に残った家財の片付けなどが想定される。担い手は社会福祉協議会やNPO法人など。利用料は所得に応じて設定し、低所得者は無料や低額にする、その実行が待たれる」。
ところで独居老人の翁、八十路に入ってからずっと“我が身の後始末”を考えている。まずは今まで必要とした身の回りの物品の整理、例えば(もう手を通すこともあるまい)洋服、必要がなくなった書籍・資料類、若い頃、海外で仕入れたお土産類(骨董品や装飾品)など、少しずつ整理(捨てたり人に引き取ってもらったり)しているのだが、見渡すと、まだまだ不用品があちこちに・・・そして思う「もし、いまオレが死んだら、これらの品々はどうなるのだろう?」と。そして更に大きな問題は不動産(古くなったマンション)の始末・・・友人に話したら「龍翁さんは故郷があるし、ハワイにもファミリーがいるので今のうちにマンションを売ってしまい、どちらかに移住したらいかが?」うん、それも考えてはいるが、実は、まだ東京を離れられない事情(医療問題・交遊関係など)があって“二の足”を踏んでいるのが実情だ。願わくば、読売新聞(社説)が言うように「死後事務については、葬儀の手続きや納骨、自宅に残った家財の片付けなどが想定される。担い手は社会福祉協議会やNPO法人など。利用料は所得に応じて設定し、低所得者は無料や低額にする、その実行が待たれる」を、翁もとても待ち望んでいる。
翁、17年前(2008年)から「五反田シニア会」(元教育者だった人たちの親睦会)のメンバーになっている。翁を招き入れてくれた先輩たちが次々と亡くなり、2017年から最長老になったので“会長”に祭り上げられている。わずか11人のメンバーで“コロナ禍”期はメールや電話だけで顔を合わせることは控えたていたが、先日6年ぶりに会食会が開かれた。11人中5人が病弱その他の理由で欠席、集まったのは翁以下6人。やはりそれなりに“歳”を感じたが一応に元気、頭も口も達者だったのが嬉しかった。会話の中身は病気や死生観が多く、簡単に言うと「立つ鳥、後を濁さず、と思って、何とか断捨離をやっているのだが、病を抱えているので思うように体が動かず、やる気も薄らいでいる状態」が話題の中心だった。前述の、翁が東京を離れられない事情の1つ”交遊関係“には、この「五反田シニア会」や「ゴルフ仲間」、「昔からの親友」そして「いまだに翁を頼ってくれる(息子のような)後輩たち」との”離れ難き縁“が“二の足”を踏んでいるのである。
翁、年の瀬には、やはり“終活”(人生の終わりに向けて様々な準備を行ない残りの人生をより良く生きるための活動)への思いが強まるが、もうとっくに“死”は覚悟している。そして“終焉”に際しては上杉謙信の辞世の句【極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし】でありたいと願っている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。