「science」という言葉 | 威風堂々

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幸福の科学の信者たつとらのお笑い脳が抑えきれないブログ。

お久しぶりですほんわか

 

たつとらですよだれ

 

 

 

先日、ある本を読んでいたら

 

言葉の語源について書かれている箇所があって、

 

「おおお!なるほど、そういうことか!」ハッとしたことがあったので

 

ちょっと書いてみたいと思いまするよだれキラキラ

 

 

 

 

 

(※この記事はたつとらの主観、解釈に基づいています。信じる信じないは読み手の自由ですのでその点、誤解なきようお願いいたします)

 

 

 

 

 

 

ビーグルしっぽビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルからだビーグルあたま

 

 

 

「ハッとしたこと」。

 

それは

 

scienceという言葉についてです。

 

 

 

 

そう、

 

HAPPY SCIENCE

 

scienceです。

 

 

 

 

日本人はこの言葉を聞いて

 

「科学」という訳語を当てると思います。

 

 

 

 

ただ、

 

その言葉に含まれた「意味」、

 

すなわち「本質」は、

 

語源を紐解くことで

 

より浮き彫りになるようですキョロキョロスター

 

 

 

scienceのsci-の部分は

 

ラテン語のscio(知る)という言葉から来ています。

 

 

 

つまり、

 

「知ること」「知識」

 

それがscienceという言葉の奥にある「本質」のようです。

 

 

 

「科学する」ということはすなわち、

 

「今まで未知の領域だったもの、詳細の分からないものを、体系化したり、法則化したりして、「知識」とすること」

 

「未知」から「既知」への転換

 

それがscience。

 

 

 

だから、「科学」という領域において、

 

「未知」であるものは、「探究すべきもの」であり、

 

否定するものではないわけです。

 

 

 

 

現代では科学万能主義という感じで、

 

科学で証明できないものは信じないとか、存在しないとか、

 

「それは科学じゃない」などと否定したり、学問領域から締め出そうとする傾向が強いですが、

 

scienceくんから言わせれば、

 

「え?未知の領域を放っておくの?探究しないの?無視するの?否定するの?ふーん」

 

ってなるわけです。

 

 

 

そもそも宇宙人の存在だって、科学はまだはっきり証明できていないのに、

 

アメリカは公式にUFOの映像を公開していたりするので、

 

未知の領域なんてまだまだあって、

 

人間の知識なんてほんのひとつまみ。

 

ニュートンの

 

「私は海辺で遊んでいる少年のようである。
ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。
真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。」

 

という言葉が染みます。。。えーん

 

 

 

ということで、

 

「真理の探究。未知なるものの探究。どこまでも真実を追い求め、知っていくこと」

 

それが科学SCIENCE

 

 

 

さてそんなscienceという言葉から出てきた、

 

もう一つの大事な言葉があります。

 

 

 

それが、

 

conscience

 

「良心」と訳される言葉です。

 

 

 

この言葉には「良い心を持つこと」「善悪の判断ができること」という意味が含まれています。

 

 

 

con-「一緒に、共に」という意味です。

 

すなわち、「知識とともにあること」

 

conscienceという言葉の「本質」になるわけです。

 

 

 

つまり、「知ることによって、良い心を持ち、善悪の判断ができ、良く生きることができるのだ」という思想が表れているわけです。

 

 

 

深い~キョロキョロキラキラ

 

 

 

 

 

 

知るって何を???

 

 

 

先ほど述べた、「真理」です。

 

大宇宙の、この世界の真実です。

 

 

 

例えば、「地動説」と「天動説」。

 

昔は人々は「太陽が地球の周りを回っている(天動説)」と信じていました。

 

しかし、後に「地球が太陽の周りを回っているのだ(地動説)」と判明しました。

 

人間の視点から見れば、見たままの世界で見れば、天動説に思えても、それは実は偽物の知識で、

 

世界をもっと探究してみれば、違う視点があって、

 

「世界を正しく知ろう、神の創った世界を正しく捉えよう」という研究者たちの探究の末に

 

真実の知識に辿り着いた例です。

 

 

 

そして、私たちはこの真実の知識によって、

 

「地球は世界の中心ではなく、世界の一部なのだ。太陽のおかげで生かされているのだ」と知り、

 

謙虚でいることや、感謝して生きることを覚え、

 

「良く生きる」ことができる。

 

 

 

そう考え至った時に、

 

逆に言えば、「良く生きることに繋がらない知識は、偽物ではないか?」

 

私には思えたのです。

 

 

 

ここが、「ハッとした」という点なのですが。

(話が長くなってすみません汗うさぎ

 

 

 

科学万能主義や、唯物論、唯脳論、、、

 

けっこうですが、

 

それを信じたければそれで構いませんが、

 

「神はいない」「あの世はない」「死んだら終わり」「人間の本質は脳」。。。

 

その知識で、conscience(良心)は生まれますか?

 

ということです。

 

その知識で、「良く生きること」に繋がりますか?

 

善悪の判断ができるようになりますか?

 

 

 

 

「良く生きること」に繋がる「知識」こそが、本物なんじゃないか。

 

それをconscienceという言葉が表しているんじゃないか。

 

そう思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

そして、

 

それに気づいたときに

 

「HAPPY SCIENCE」という、「幸福の科学」の英語表記は、

 

ものすごい意味が隠された表現なんじゃないかと

 

総裁先生の御心にガクブルする今日この頃なのです泣くうさぎ泣くうさぎ泣くうさぎ

 

 

 

 

「幸福を科学する」

 

つまり、「幸福になれる法則(真理)を学ぶ」という意味で、「幸福の科学」という教団名がついている。

 

単純に、そう思ってきましたが、

 

HAPPY SCIENCEという英語表記を考えたときに、

 

SCIENCEとともにあることが「良く生きること」だというconscienceの意味を考えたときに、

 

 

 

 

HAPPY SCIENCEって、

 

「人間が本当に幸せになる「真理」がありますよ。それを学ぶところですよ。」

 

という意味が前提としてあって、

 

その奥に、

 

真理とともに生きることで、善悪の判断ができ、正しい生き方ができ、幸福になりますよ」

 

良く生きることに繋がらないものや、幸福に繋がらない考え方(偽物の知識)を捨て、どこまでも真実の知識(真理)を探究しましょう」

 

という意味があるんだなぁ、と。

 

HAPPY SCIENCEという簡単な、シンプルな言葉の奥に、

 

こんだけ深い意味が隠されているんだなぁと。

 

しみじみ。。。

 

 

 

 

 

 

「真理を知っても、良く生きることに繋がらなきゃ意味がない。真理とともに生きることができているか?知っただけになっていないか?それは本当に「知った」と言えるのか?」という問いかけが含まれているという点にガクブルしたたつとらゲロー

 

本当に「知った」なら、行動につながるはずで、行動できていないのなら、まだ「知って」ないのだわ無気力

 

 

 

 

 

深い~昇天昇天昇天(語彙力)

 

 

 

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたま

 

 

 

 

なので、

 

やはり、

 

「あの世なんてない」とか、「死んだら終わりやろ」とか言われても、

 

「宗教は全部カルト」「宗教なんていらん」とか言われても、

 

全然信じる気にならないですね!!!

 

その思想を信じてあなたは幸福になりますか?

 

その思想を大切な人に伝えたいと思いますか?

 

例え迫害されても、「あの世はない」「神はいない」という思想を世界の人々のために命がけで伝道しようと思いますか?

 

この地上から宗教がなくなって、

 

天国地獄の話を誰もしなくなったときに、

 

「正しく生きよう」と声を挙げる人がいなくなったときに、

 

あなたはその世界で幸福に生きていられると思いますか?

 

その世界であなたは「人間」らしく、「良心」を持って生きられると思いますか?

 

 

 

 

牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたま<なんてね。

 

 

 

 

scienceとconscienceという言葉から

 

そんなことを考えましたウインク星

 

 

 

 

ちなみに

 

京大時代、

 

理学部の同級生(男性)

 

「科学で証明できないものは信じない」と言ってきたので、

(※私が幸福の科学の伝道しているのを知っている)

 

「現代科学でもまだ未知の領域があるんだから、ゆくゆくはあの世や霊の存在も科学で証明されるかもしれないよ。科学がまだ追いついていないだけじゃないか?

そもそも科学は未知の探究が使命であって、証明できないからと言って探究をせず否定するのは科学者としてどうなんだ?」

 

的なことを言ってみたら、

(大川総裁の受け売り)

 

「確かに…驚き

 

と言って黙った記憶がございます昇天

 

効いたわ~キョロキョロキラキラ

 

 

 

 

真理を知らないとは、かくも脆いものですな。

 

 

 

 

信仰の世界だからとて、、、論理的に弱いわけではないね。

 

弱いのは伝道者の心だね。

 

大人になって、相手の心理などを考えられるようになるほど、

 

「信じてもらえないかもしれない」と尻込みすることがよくあるが、

 

怯まず、強くあろうと思ふ。

 

 

 

 

 

 

おわり。

 

 

 

 

 

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