仕事ができない話の補足。 | 威風堂々

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幸福の科学の信者たつとらのお笑い脳が抑えきれないブログ。

こんにちは照れスター

 

たつとらですウインク飛び出すハート

 

 

 

今日からぐっと気温が下がってくるようなので、

 

皆さん風邪などひかれませんようお気を付けてハート

 

 

 

さて、

 

先日アップした前回記事ですが、

↓↓↓

御法話『仕事ができないということ』を拝聴したら早速仕事ができない職員にしてやられた件について

 

思った以上に反響をいただきまして、

 

「えポーンとなってるところでございます。

 

 

 

ブログのコメントだけでなく、TwitterでもコメントやDMをいただき、

 

皆さま、ご感想などお聞かせくださって、誠にありがとうございました!ニコニコキラキラ

 

 

 

中には、

 

「ちゃんと理解いただいていないのかな?」というご感想もあり、

 

自分の書き方や表現の仕方にも未熟なところがあったと思うのと、

 

言う必要がないと思って、はしょった部分があるのと、

 

コメントをいただくことで参究をしてさらに気付いた部分があるということで、

 

補足記事を書かせていただきます立ち上がる星

 

 

 

まぁ、まとまってないですが。

 

 

 

黒猫しっぽ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫からだ黒猫あたまみょーん

 

 

 

まず、話をおさらいしますと、

 

・黒帯英語の最新刊が届いていたら拝受しようと思い、支部に行ったらまだ届いていなかった。

・そのとき男性職員さんがおり、たつとらが黒帯を拝受しようとしていることを知った。(支部長はその場にいなかった)

・後日、再度支部に行き、本棚を確認したが黒帯がなく、おかしいと思い色々探した末、「たつとらさん取り置き」と書かれたメモ用紙に巻かれた黒帯最新刊を発見した。

・ちょうどそのとき男性職員と顔を合わせたが、「取り置きしておいたよ」とは言われないままだった。

・用があり、支部長に会いに行ったところ、支部長は私に会うなり挨拶後すぐ「黒帯の取り置き、もらった?」と確認してくれた。

 

 

 

そういう一連の流れでした。

 

 

 

そして、再度の確認事項ですが、

 

・私は取り置きを頼んでいなかった。

・今まで取り置きしてもらったこともなかった。

・「取り置きしました」という連絡も受けなかった。

 

 

そしてもう一つ大事なことに、

 

・黒帯最新刊が発刊されるとき、支部にくる黒帯は1冊のみである。

・私が京都に戻って以降、支部にくる黒帯最新刊を1冊ずつ拝受しているのは私である。

・そして、私が拝受後、在庫がなくなった黒帯は補充されず、在庫のないまま放置されている。

 

という今までの状況があることも、合わせて前記事をご確認いただければ幸いです。

 

 

 

 

そのなかで、取り置きをしてくださったわけですが。

 

 

 

 

その善意は、とてもありがたいことで、私のために動いてくださったわけで、ありがたいことですが。

 

 

 

 

ダイヤオレンジ自分の仕事に責任を持とう。

 

 

一番は、

 

「自分が取り置きをするというアイデアを出し、それをやると決めたなら、最後まで責任もってやってください」

 

ということだと思います。

 

 

 

前記事でも書いていますが、

 

男性職員が私と顔を合わせたときに、

 

「あ、たつとらさん、黒帯取り置きしておきましたよ」とお声がけいただいていれば、

 

「ああ、分かりにくいところにおいてあったのはあれやけど、ちゃんと覚えていて声をかけるつもりだったのね」ということで、

 

「取り置きありがとうございます。でも、普通に本棚に置いておいてくだされば良いので(にこ)」と言えるわけです。

 

 

 

現に、支部長は

 

私に会った瞬間に、私の顔を見た瞬間に、

 

「黒帯取り置きしたの、もらった?」と声をかけてくれています。

 

 

 

この点において、私は「仕事ができない」と申し上げています。

 

 

 

大川総裁は、「できる営業マン」についてのお話で、

 

その条件として「記憶力」を挙げています。

 

 

 

できる営業マンは、

 

顧客の名前、顔はもちろん、

 

過去に何を買ったか、どんなことを会話したか、家族構成や好み等

 

そういうことを記憶し、

 

その顧客に会ったときに(久しぶりの来店でも)

 

「○○様、いらっしゃいませ」と言い、

 

「以前、○○とおっしゃっていましたが、最近はいかがですか?」などの声掛けができるのです。

 

相手のことをきちんと覚えているのです。

 

 

 

これをされると、客側は

 

「この人は私のことをちゃんと理解してくれているお願いキラキラと感じ、

 

その営業マン(従業員)を信頼し、

 

その人から買いたいと思うわけです。

 

 

 

なので、幸福の科学においても、

 

例えば支部長がその支部の信者さんの名前や顔、その他その人の情報を覚えていることが大事なわけです。

 

「この前腰が痛いと仰っていましたが、大丈夫ですか?」

 

「仕事で悩んでいると仰っていましたが、最近どうですか?」

 

そういう声掛けが、「信者のことを考えている」ということであり、

 

支部長が信者一人一人の顔を見ているからこそ、

 

信者も支部長を信頼し、活動しようと思うのです。

 

 

 

だから私は、「仕事ができる」という条件において、

 

「お客様(or信者さん)のことを記憶している」という点は重要だと考えています。

 

(自分も元営業員で、必死にお客様の名前や情報を覚えていました)

 

 

 

 

今回の件は、

 

おそらく男性職員が支部長に「たつとらが黒帯を拝受にし来たがまだ届いてなかった」と報告し、

 

「じゃあ取り置きしといてあげようか」とどちらかが提案し、

 

取り置きがなされたものと推測します。

 

 

 

男性職員が取り置きを知っていたのは明白です。

(彼がいなければ支部長が黒帯拝受の件を知るはずがないので)

 

 

 

その点で、

 

私を見たときに黒帯の件がすっぽ抜けていて、「取り置きしたよ」と言わないままだったというのは、

 

「仕事できてないんじゃないか?」っていうことなんです。

 

「取り置きをしようとしたのはそっちなのだから、最後まで責任もってくれ。私に会ったときにパッと言えないほどの責任感なら、最初からしなくていい」ということです。

 

 

 

 

 

ダイヤオレンジ本棚の在庫がゼロなんよ。

 

 

 

それから、

 

私が引っ掛かっているのは、

 

「取り置きしたら、本棚の黒帯最新刊の在庫0やん」

 

ということです。

 

 

 

私以外に拝受する人は今のところいない状況ですが、

 

そんなの分からないじゃないですか。

 

 

 

例えば、

 

今回の黒帯英語十三段③

 

「エローヒムの降臨」英語版が収録されており、

 

また、映画「宇宙の法エローヒム編」の楽曲の英訳も収録されています。

 

 

 

今まで黒帯を拝受していなくても、

 

その情報を見て、

 

「お、今回は面白そうだからちょっと拝受しようかキョロキョロという人がいるかもしれません。

 

 

 

そんなとき、支部に行って在庫がゼロだったら?

 

 

その人が、私より先に支部に行っていて、もし取り置きが無ければ黒帯英語を拝受できていたとしたら?

 

 

 

それって、とても申し訳ないことですし、

 

私は自分が拝受できなくても、他の人が拝受していたならそれは超喜びます。

 

 

 

だって、今まで自分以外拝受者がいなかったんですから。

 

 

 

「黒帯ないですか?」と聞いて

 

「あ、ごめん。さっき拝受した人がいて…」と言われたら、

 

「え!マジですか!?ひゃっほう!ついに2人目だ―――――!!!笑い泣きと泣いて喜びます(大げさ)

 

 

 

自分の分が無くても、他の精舎で拝受するか、もう1冊支部に取り寄せしてもらえばいいだけです。

 

 

 

私としては、気を利かせてくださったとしても、

 

私が取り置きを頼んでない(そして望んでいない)以上、

 

支部として、他の信者さんの拝受の機会を奪っているならアウトだと思います。

 

 

 

本棚に、在庫ゼロ。

 

これは大変ひどい状況であることを、もっと感じていただきたく思います。

 

 

 

 

 

ダイヤオレンジてか、在庫ゼロがずっと続いてるけど発注しないの???

 

 

 

そして、前記事でも書いたように、

 

私がHSUから京都に帰ってきて以降の、黒帯最新刊がずっと在庫ゼロなんです。

 

 

 

「拝受する人がいないから」と言って、

 

黒帯英語が、しかも最新刊が、支部に無い。

 

 

 

職員さんがこの状況を良しとしているのが、私は空恐ろしく感じます。

 

 

 

職員さんの仕事は、経典をアピールして、信者さんに拝受していただくことではないのでしょうか?

 

そして、総裁先生は「日本語だけでもいいから読んでほしい」「ついてきてほしい」と仰っており、

 

総裁先生の願いは「黒帯英語を読む人を増やしたい」です。

 

 

 

一度、「読んでる人が少ない」という理由で、発刊がストップしかけているんです。

 

それを主の御慈悲で再開していただいているんです。

 

 

 

今後の緊迫した情勢を見れば、「黒帯英語」を読むことは信者として必要不可欠のはずです。

 

『十字架の女』や、その他重要経典も、国際政治に関する重要霊言も、

 

黒帯英語があって初めて、理解が深まるんです。

 

 

 

それが、在庫ゼロで、

 

たった1冊の拝受を「売れた~」と言って喜んで最新刊が売り切れの状態でほっとかれている。。。

 

 

 

 

 

 

仕事してるん???キョロキョロキョロキョロキョロキョロ

 

 

 

 

 

 

もちろん他の仕事もたくさんあり、勉強することも山ほどあり、

 

職員さんんはハードスケジュールで頑張ってらっしゃると思います。

 

 

 

でも、発注くらいできませんか?

 

最新刊が無いことを「ダメだな」と感じるくらいできませんか?

 

 

 

 

そう思うんです。

 

 

 

 

 

ダイヤオレンジ本棚から取るからいいのよ。

 

 

 

それから、これは「知るか」ってことかもしれませんが、

 

私は本屋さんで本を探すのが好きなので、

 

支部だろうが何だろうが、本棚を探して「見つけたっ!」っていう瞬間がとても大切です。

 

 

 

そして、自分で手に取って、その本であることを確認することで、

 

「ゲットした!」っていう感覚があります。

 

「手に入った!」っていう喜びがあります。

 

 

 

自分が予約しておいたものならば、

 

「本棚から見つける」がないですが、

 

自分が予約したのですからその瞬間が無いのは当たり前。

 

事前に分かってることだからきにしません。

 

 

でも、自分が本棚から見つけることを期待して行ったのに、

 

本棚に無くて、

 

別の場所にあって、

 

その理由が「(頼んでないのに)取り置きされていた」だったら。

 

 

 

 

別に大したことじゃないし、

 

絶対その瞬間がないと駄目なんじゃボケ――――っていうのでもないですが、

 

 

 

 

でも、一瞬、「なんで???」って思うこの感情を

 

理解していただいたら嬉しいです。

 

 

 

 

本来本棚にあって、

 

その背表紙を見つけて、

 

「みーつーけーた~♪」(アナ雪2のアレ)という感動の邂逅の瞬間があるはずだったのに。

 

 

 

 

それが、

 

「なんでこんなところにあんの?」

 

「なんで勝手に取り置きされてんの?」

 

「キミ(黒帯)がここにいたら、本来出会えるはずだった人が出会えなかったということでしょマジかよ」

 

ってことになるんです。

 

 

 

 

当然、職員さんにここまで配慮しろなんて思っておりません。

 

普通に、取り置きされていて、「取り置きしといたよ」と言ってくれたら

 

「わざわざありがとうございます。でも他の人が拝受出来ないので今後は取り置きしなくていいですよニコニコってなってたと思います。

 

本棚云々はどうでもいいです。

 

 

 

ただ、一つの出来事でも、そこには色んな感情(相手側含む)が含まれており、それを他人がすべて理解することは難しいということをお伝えするために書かせていただきました。

 

自分にとっては大したことじゃないように感じ、

 

相手に「大したことじゃないよ。気にするな」と言っても、

 

それが相手にとってはとても大事なことであることもあります。

 

その場合、その人の言葉は相手をとても傷つけます。

 

「この人は自分を理解していない」と感じます。

 

 

 

もちろん相手のことを100%理解することなど不可能です。

 

でも、相手が傷付いたり、不快に思ったと言っているなら、

 

「悲しかったね」「不快だったんだね」と言い、相手に寄り添うことはできるはずです。

 

 

 

そして、相手を励まして心を良い方向に向けさせたいと思うなら、

 

相手の気持ちに寄り添ったうえで、

 

「何が悲しかったの?」「どういう点が不快に感じたの?」と詳しく聞いてみることです。

 

そうすると、相手は自分の気持ちを整理できるし、自分の心と向き合い始めます。

 

そして、「ああ、○○が嫌と思っていたけど、実は△△が嫌だったんだ」と気付いたりできます。

 

 

 

例えば今回のケースなら、

 

「勝手に取り置きされたことが嫌だったのではなく、

 

本棚に無かったこと(在庫ゼロ)が嫌だった」

 

などです。

 

これは「自分の発見」になり、自分の心を理解する一助になります照れキラキラ

 

 

 

熊しっぽ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊からだ熊あたまくま

 

 

 

支部や精舎は聖なる空間で、心落ち着く場所ですが、

 

時に、嫌な思いをしたりすることもあります。

 

 

 

そういう時に、よくあるのが

 

「心の修行なのだから、些細なことは水に流す」という言われ方です。

 

もちろん、それも大事なことです。

 

しょっちゅう小さなことで怒るのはしんどいし、心が乱れてしまうので、心を落ち着けることは大事です。

 

 

 

ただ、その「些細なこと」をクレームとして受ける側は、

 

相手に「心の修行」を強いる前に、

 

「そんな事いちいち気にするなよ」と思う前に、

 

「何が悪かったのか」「自分の落ち度はなかったのか」「もしかしたら改善できるのではないか」と考えることが大事です。

 

そう考えないと、一生発展はありません。前進はありません。改善はありません。

 

 

 

もちろん「信者のワガママ」のクレームもあるでしょうが、

 

「不快にさせた側」が自己反省を怠って、相手に一方的に反省を促す対応が続いていて、

 

そして明らかに支部にくる人が減っているとか、そういう状況であるなら

 

「それはちょっと主の御心から外れているのではありませんか?」と言いたい。

 

 

 

牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたまモー

 

 

 

 

 

最後に。

 

 

 

 

「悪感情」「負の感情」「不快」「愚痴」

 

 

悪いことだと思っている人がいるかもしれませんが、

 

私はそう思いません。

 

 

自分がそれを感じたときのことを十分分析すれば、

 

「人間はこういう時に不機嫌になるのだ。相手にしないように気を付けよう」という

 

自己改革の材料になるからです。

 

 

 

だから、私はモヤモヤがあったりしたとき、

 

「こんなことを思う自分はダメだ」って自分を責めるよりは、

 

自分に「よしよし、嫌だったね、つらかったね」って言ってヨシヨシして(精神的に)、

 

「なんでモヤモヤするの?何が嫌だったの?」と自分に問いかけます。

 

そしたら、「あ、私はこれが嫌なのか!」ということが見えてきます。

 

 

 

そして、「そうか、これをされたら人はこんな気持ちになるのか。。。」とその感情をたっぷり味わって、

 

「私と同じ状況の人がいたらこんな気持ちなんだ。それはつらいなぁ。。。」と共感したり、

 

「よし、誰かこんな気持ちにさせないように気を付けよう」と決意したりするんです。

 

 

 

そしたら、自分が悪感情を持ったことはプラスになります。

 

自分にとって必要な感情だったと、

 

その感情ごと、その感情になる出来事ごと、

 

愛することができます。

 

 

 

そして、

 

自分の負の感情が愛せたら、

 

他人の負の感情もまた、

 

愛せるようになりますウインクラブラブ

 

 

 

人を愛すために、人の気持ちを理解するために、

 

負の感情があるのだ

 

私は思います。

 

 

 

 

 

なので、

 

自分の不快な体験も、

 

他人の不快な体験も、

 

とっても大事な学びの材料なのですお願いキラキラ

 

 

 

そして、仕事できない人は

 

「自分が相手を不快にさせたことは事実である」ということを受け止めないと

 

一生仕事できるようにならないし、人の気持ちも分からない。

 

 

 

以上です!

 

長文読んでいただきありがとうございました昇天

 

 

 

 

 

 

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