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写真は、桃の花の蕾。


✴︎


2018年某日、移植後 2年経過検診を受けた。


内容は、心電図、心エコー、腹部エコー、

肺呼吸、上部レントゲン、MRI、骨髄穿刺の

検査だった。


血液、尿検査、眼科検診は、別日に行った。


上記の検査結果は、某日、別日ともに、

問題無い結果だった。


三年前、早期退院を勝ち取り、安心していたわたしに投げかけられた、ベテラン看護師からの言葉が、今でも胸に残る。


『この病気は、退院した後も大変だから、

頑張ってね!』


当時は、完全退院に浮かれていた気持ちもあったのだろう。


看護師の言葉に水を差されたような複雑な気持ちになり、ネガティブな言葉として捉えていた。


しかし、この言葉の意味は、定期的な通院の中で、増薬、減薬を繰り返す中、身をもってしる事になった。


退院直後の体力消耗は、長期入院による筋力低下、呼気力低下により、立っている事、

座っている事もままならぬ状況が続いた。


更に、低血糖症になり、動悸、息切れが激しくなり、死を身近に感じた瞬間を何度か経験した。


コンビニで買物中にブラックアウトし、

同時に転倒をし、後頭部に傷を負った事も

あった。


そうして、まともな生活が出来ず、食事も薬も取れずで、2週間程、再入院する事になってしまう。


その際に言われた移植主治医の言葉が、

忘れられない。


『あなたは、わたしたちの努力(延命治療)を無駄にするつもりですか?』


退院後、自宅で生活するわたしの体力、気力が

どの程度しか無く、努力したくても努力出来ない

体調の悪化を全く慮らない発言に、とても失望した。


無菌室で何十本もの点滴に繋がれ、粘膜障害と日夜闘い、漸く勝ち取った完全退院で、思いがけずに体力が戻らず寝たきり状態になってしまったわたしに、全く寄り添ってもらえなかった。


やはり、病院側に大金が入ってくる骨髄移植治療では、丁重に、丁寧に治療してくださった記憶が強い分、失望も相当大きかった。


✴︎


移植1年めは、体力不足、不安定で、

社会復帰なんて夢のまた夢。

自宅療養を余儀なくされた。


移植2年めは、体力は戻るが、粘膜障害に

悩まされる。


社会復帰準備をし、復帰する。減薬によって引き起こされる粘膜障害は、酷くなる一方。


特に、秋から冬のドライアイ、眼やにには苦労し続ける。


更に、外来主治医に減薬タイミングをミスされて、粘膜障害の口唇裂傷や亀頭糜爛を長く患わさせられた。


移植3年めは、減薬もされて、再び粘膜障害とどう付き合っていくか。


【五年生存】に向けて、牛歩ながら回復してはいる。


生かされているという想いは、行き続ける限り持ち続けていく。


あらゆるものへの感謝と失望が、入り乱れた3年めだ。


春の訪れが、今年も近い。