✴︎
2015年8月7日、弔問へ向かう。
2015年4月5日に急逝された
後輩のもとへ。
高校時代の後輩で、当時直接は
知らなかった。
※詳細は、真夏の弔問① をどうぞ。
✴︎
友人に教えてもらった、
後輩Aの実家の住所を頼りに
訪ねた。
その日も多分に漏れず、猛暑日だった。
近くの米屋の女将に尋ねた。
《この近くにAさん宅があると伺って来たのですが、ご存知ですか?》
『ああ、Aさん宅ならば目の前よ。
お仕事に行かれているから、この
時間は居ないと思うけれど。』
案内いただいた女将に御礼を言い、
目の前のA宅を訪ねた。
チャイムを鳴らすが、誰の気配も
ない。
夕方出直そう、と思い直した。
✴︎
同日夕方、A宅を再訪問。
車から、家の灯りが見える。
在宅を確認し、チャイムを鳴らす。
初対面の、なんの情報もない方々に
お会いするのは緊張する。
チャイムを鳴らすと、
玄関先に初老の女性が現れた。
Aの母だった。
Aとの間柄と、弔問させていただきたい
旨を話すと、快くわたしを受け容れてくださり、御焼香させていただけた。
Aに、ゆっくり休んでください…と、
手を合わせた。
お母様は、穏やかな笑みを浮かべていた。
弔問が遅くなった理由が、
白血病治療で入院していた事を
わたしが話すと、恐縮しながらも
嬉しそうにしておられた。
お母様も、Aの突然の逝去を受け容れ
られていない。
わたしも、そうだ。
四十九日法要が済んだ、今でも。。
✴︎
お父様が、仏間に来られた。
お父様は、わたしの素性をしると、
堰を切ったようにAの話しをして
くださった。
ふらりと東京から帰省して
くるのをずっと信じていること、
東京での暮らしは、離れていたため
わからないことが多かったこと、
彼の形見の調度品のこと、
お盆帰省時は、家族で近所の寿司屋
へ訪れていること、
【今年もAは帰ってくるから、
母さん、寿司屋に行かなきゃな。】
そして、
【親より先には、死んじゃ駄目ですよ。】
と、仰った。
お母様は、涙を流されていた。
✴︎
わたしの病状をお父様にも話すと
帰り際に、
【完治したら、御祝いをしましょう‼︎】
と言ってくださった。
その笑顔が、Aとダブり泣きそうに
なった。
ずっとずっと、Aを忘れない。
忘れない事しか出来ないけれど、
それがAを永遠に生かし続けるのだと、
信じている。