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※写真は、現在のわたし。


✴︎

早めに起きてしまった。


現在、朝方3:00


最近の睡眠不足の限界と、リハビリ・トレーニングの高負荷が相まって、昨晩は久々にしっかりと熟睡も出来た。



海の底にいるような、とてもとても静かな病室…。



こんなシチュエーションだからか、

最近体重が激減したからなのか、

深夜なのか朝なのかわからないこの時間に起きてしまっている昂揚感からなのか、


プロのモデルや役者をしていた頃の事を、綴ってみたくなった。


……しばし、わたしのタイムスリップへお付き合いいただきたい。


✴︎

時は今から約20年前ー。


わたしは、東京の外れにある某大学へ一浪をして入学した。専攻は、英米語学科。

その頃は、通訳や翻訳業に就きたかった。


しかし、わたしは一枚の勧誘チラシに心奪われ、その道を約8年、邁進する事になる。


それは、演劇サークルのものだった。


綺麗な顔立ちをした色白細身のおねえさんが、わたしに声をかけてきた。


《一緒に舞台に立ちませんか?》


一瞬躊躇するもその紙を受け取り、その日の放課後には演劇サークルを見に行っていた。


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そしてその日に、入部を決めた。


放課後は、毎日稽古にいそしんだ。

腹式呼吸からはじめ、柔軟体操、筋トレ、発声、エチュード、台詞覚え……。

わたしにとっては、毎日が新鮮な体験で、学校の授業に行くのも楽しくなっていった。


そして、秋にある大学祭に役者として参加した。

まあ、観るに堪えない役者とは呼べない、役者ぶりだっただろう。

一所懸命、その当時のわたしなりにはやりきったが、所詮素人……。

誰でも通る道を、逃げずに乗り切れた事には自分を評価したいと思う。


✴︎

それから間もなく、他大学の先輩サークルが大学祭で演劇上演されるから観に来てほしいと先輩に言われ、大学内の小ホール講義室に組まれた劇場へ足を運んだ。

その作品はオリジナルのもので、板付きの脚本家が居た。先輩は、演出兼役者をしていた。

その作品との出逢いで、わたしは感動と笑いを存分に享受させていただきながら、圧倒的な個性と才能に打ちひしがれ、今所属する大学サークルを辞めた。

そして、家から数分にある先輩の居る他大学サークル・Kへ所属をさせていただく事になったのだった。

さらなる役者としての、自身の向上を見据えて。


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他大学サークル・Kでは、当初疎外感も感じていた。

違う大学からの、突然の所属……所属する側もされる側もぎこちないのは当然だ。

しかし、若いあの頃はうまく立ち回れなくて、役者としても、舞台制作にしても苦しんだりもした。

演出兼役者だった先輩にも、たくさん相談した。

けれど当初、頑なわたしに余り変化はなかった。


✴︎

次回公演のキャストが決まり、わたしはその舞台で2度目のステージに立てる事になった!

とてもとても、うれしかった。

しかし、苦悩は続くー。

圧倒的個性集団の中に埋もれてはいけない危機感ばかりが、わたしの心を取り囲んで、心や演技を小さく、小さくしていった。

本番までには、役のキャラや心をしりたい…しるために何が必要なのか……。

自問自答のスパイラルに陥りかけた時、演出の先輩に言われた。


《RYUらしく、思いきりやればいいよ》


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その言葉にハッとさせられて、役を考える前に、自分が思うように心を自由にし、身体を自由にさせて動いて、台詞の言葉を吐き出していった。

すると、わたしが感じた事の無い感覚、今まで眠っていた感覚が、一斉に覚醒したかのように湧き上がって溢れ出てきたのを、鮮明に覚えている。

ああ、そうか。これが個性なのか…と気付けた瞬間だった。


ちなみに、わたしのもつ個性は、綺麗に言えばエキセントリック、汚く言えば変態性である。笑


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無事、Kでの第1回めの舞台経験をし、わたしは少しだけ、Kの仲間と打ち解ける事が出来た気がした。


つづく

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《大切な余談》
そして、現在でさえこうやって闘病中のわたしを毎日祈り、激励し続けてくれているKの仲間たち。

本当に本当にありがとう‼︎

報恩感謝出来るその日まで、待っていてほしい。

必ず、完治させるから!

わたしにとって、彼らは生涯のかけがえのない仲間、友だから。

完治後何か大変な事があったら、必ず駆けつけて、助けてあげたい。いや、助けるから。

待っていてほしい。m(_ _)m