こんばんは。
未だにアクセス数0の私のブログですが、折れることなく書き続けようと思います。
今日は、タイトルの通り「幸せ」について書こうと思います。
「めっちゃ幸せやなー」って感じる時、ありますよね?
そう感じるのはどんな時でしょう?
美味しいものを食べた時
欲しかったものを手にした時
ペットと遊んでる時
行きたい場所に行けた時
好きな人と付き合えた時
なにかを成し遂げた時
好きなアーティストのライブに行った時
たくさん寝れた時
のんびりしてる時
テストで良い点が取れた時
子供が産まれた時、また成長を感じた時
例を挙げるときりがありませんが、「幸せ」という気持ちが芽生える時は、良いことが起因しそうですよね。

では、問題です。
あなたは幸せになりたいです。幸せになるためにはなにをしますか?

答えられましたか?
私は答えられません(笑)
なにをするって、、むずかしっ。
そうなんです。
日常で感じる「幸せ」は、必然のようで偶然なんです。簡単なようで難しい。
「幸せ」は希少なんです。

では、「幸せ」の定義とは?
大体の文献では、「心が満ち足りていること」
と記述してあります。
なんだか曖昧じゃないですか?

本を読んでいる時が一番幸せだ!って人は、本を読むのに夢中で、その時に「心が満ち足りている!!」なんて気持ちにはならない気がします。

もちろん日常の中で私にも「幸せ」と感じる瞬間はあります。
私は「幸せ」のボーダーラインが低いと思います(笑)
なんかあればすぐに「はぁーなんか幸せやなー」
ってなります(笑)

まぁ、ぶっきらぼうなのでそれを表には出しませんが、、

私は自分の中で、「幸せ」を定義づけしました。
それは、「自分が幸せと感じたらそれが幸せ」
というものです。
誰がなんて言おうとこれが正しいと思います。
まぁ、それが「心が満ち足りている」状態なのでしょうが、それは置いといて(笑)

だから、他人と比べることはできないのです。

確かにあります!他人と自分を比べちゃう時!
私もよくあります。
「なんで俺は松潤に生まれなかったのだろう。
松潤に生まれてたら絶対今より幸せなのに。」
といった感じで。。
松潤。かっこいいですよね。(笑)
けど、私には私の「幸せ」が
松潤には松潤の「幸せ」が
きっとあるはずなんです。
彼は彼にしかない苦労があって、今があります。
その過程では辛いこともあったでしょう。
彼が「幸せ」を感じていない時もあったでしょう。(なにも知りませんが)
だから、比べることに意味はないんです。
というか、比べられません。
イチゴケーキが大好きな人が2人(AさんとBさん)いて、
その2人にイチゴケーキを与えたとします。
どちらも「幸せ」だと感じると思います。
けれど、2人の幸福度は異なります。
例えば、Aさんは80
Bさんは95
と行った具合で。
2人ともイチゴケーキが好きなのに変わりありませんが、
Aさんは、イチゴケーキはケーキの中では一番好き
Bさんは、イチゴケーキは食べ物の中でベスト3には入る!!
という仮定があれば、これは頷けますね。
 
上のように、同じことをしても「幸せ」の感じ方は人それぞれです。

松潤も芸能界が嫌いという仮定があれば全然幸せじゃないですよね。

他人のことは羨ましくなるものです。
しかし、自分もまた他人から見れば、「幸せ」そうだなと思われているのです。
隣の芝生は青い という言葉通りです。

他人に良いと思われていても、自分じゃ気付けないほど小さな「幸せ」があります。
当たり前だと思っていることが実は他から見れば当たり前じゃなかったりするものです。

目の前の小さな「幸せ」に気づくことで、人生が華やかになるような気がしますよね。

今日は「幸せ」をキーワードにながながと書かせてもらいました。
何回言うねん!てぐらい言いましたね(笑)

「幸せ」は誰にでも訪れるものです。
自分が動いても、動かなくても。
「幸せ」と感じた時には是非、声に出して言ってみてください(笑)
「幸せでーーーす!」って(笑)

ちなみに私は信号に引っかからなかったら「幸せ」を感じます。単純。

それでは今日はこの辺で。