今はインターネットなどの普及で普段知り合う事が無い相手と繋がれたり

メディア関係の人間ならばそれを利用して宣伝や告知などに使う人も居る

ブログなどで日々の事を綴る人も居れば

SNSなどで同じ趣味などを持つ相手を見つけたり友達になれたりする事もあるだろう

携帯電話でもネットに繋がるようになり
インターネットユーザーは全国だけでなく、全世界にいる

日本などは表現の自由が認められているので
様々な内容も飛び交っている

実際それらが必要、不必要かは別であり、

倫理的に問題がある事もある種まかり通っている場合がある

個人個人の出来事などを挙げていけばキリが無い訳であるが

自分が見た他者との交流が出来るサイトで見た事例だと
ある女性が葛藤を書いていた

要約するとこうだ

「私には好きな人が居て関係を持ったが相手には彼女が居た…」

「ちゃんと話しをしてけじめをつけなきゃいけない」



こういう話しは今のモラルが低下した世の中では良く聴く話しである

まずパートナーがいるにもかかわらず他の相手とどうこうしようとする

「身勝手」

な人間の存在がいて

なぜかその周りでは黙認されていたりするケースを聴く

その書き込みの内容に対して

他の利用者が
「私は同級生が既婚者になっていたが抱きしめられて嬉しかった…」と


それを見た自分の心中としては
「アホかお前は」

と痛烈に批判したい気分だった

その女も相手の男も自分の事しか考えていない
既婚者であれば相手の嫁などに悪いと思わないのか?

そんな身勝手な親の子供も不憫である…

身勝手な権利だとか自由だとかを主張するまえに

最低限
「自分がされて嫌な事を相手にするな!」

と言いたい

思考として歪んでいたり、

ある種の想像力が欠落している人間がそこかしこにいる

最近のニュースでは連鎖的に中高生の自殺が起きている…

同年代を見て嫌になる事もあるだろうし

蓋を開けたらクソみたいで

身勝手な大人の存在と

彼等の醜悪な営みを見ると

失望したり絶望して
死にたくなる子供も現れて当然のように思うし
目を覆いたくなる汚い現実がある

自分はそんな世の中やそんな人間を黙認したり、
その状況に適応しようとは思えないし

仮に馬鹿な不特定多数の大人の行為が他人事であっても
それを見聞きして傷付く場面がある…


日本は元々

「恥の文化」

であり、オープンにしない中での慎ましさや奥ゆかしさ

そして嘗ては生き恥を晒すなら自ら死を選ぶ位の観念を持った民族性があったように思うが

グローバル化された現代では
古き良き日本の良さも廃れてしまったのだろう…

自殺するまで思い悩み、葛藤したり傷つく心があるメンタリティがある人間の方が
人として本来はまともにも思う…

特に今の中高生は東日本大震災のニュースを見聞きしているし
同世代のいじめ自殺や教育関係者の対応

政治家やテレビに出る有名人や
周りの大人達の質の悪さを感じたり

ネットの普及で「見なくても良い」汚いものまで見えて

現実に落胆する者も多いように思う…

ふと感じたが
昔と比べて実に
「軽薄」

な人間が増えたと思うし

自分は大いにそれを悲観する




「奥様が妊娠中に旦那が他の女性に癒やしを求める事は大きな心で許してほしい」
的な文言ありましたが

ふざけるなと言いたい

特別フェミニストという訳でもないですが、

自分は性に重きを置いていて、
本来親になる為の行為で、親になる位の

資質と自覚と、
責任や覚悟

が無い人間が安易に行為に至る事を反対する立場なので

キャパとして浮気されて許せる人もいるかもしれませんが

「自分がされて嫌な事を人にするな!」

という事は人間として社会で生きるなら大前提のはず…

自分は浮気されたら許せないですし

擁護する意見を仰る方と知り大変残念に思いました

「自分がされて嫌な事を人にするな!」

というのは想像力で人の痛みを知る事であり、
人の痛みを知らない人は他人を傷つけます

貴女が心を痛められたいじめなどにしても

「人の痛みを考えない者達」

による行為です

貴女のページに対して訳のわからない荒らしをするのも

「人の痛みを考えない者達」

でしょう

大人ならば自他共に律する事が出来なくてどうするのでしょうか?

昔から

「英雄色を好む」

だとか

「遊びは芸の肥やし」

だとか

「据え膳食わぬは男の恥」

などと男の欲求を正当化する言葉がありましたが

間違いだと思います

文化によれば男側の欲求や思惑を女性に押し付ける事で

「女児への割礼」

などの習慣がある地域などを知っています

アフリカ出身の人権活動家の女性がそれを世界に広めた事などご存知ないのでしょうか?


「相手の人生を背負うぐらいの覚悟がなければ女を抱くな!」

というのが自分のスタンスです
そこには

「親になる覚悟や責任」

などの思いも込められています
大人は自他共に強い責任感を持たないといけないと思います

自分は子供の頃に母親から

「なんかあったらあんたを殺して私も死ぬ」

と言う事を言われていました

例えば亀岡の無免許少年による自動車事故などで少年法や過失の程度の関係で

遺族が願う重い罪は下されませんでした

しかし人様の命を奪っておいて今の法律に死刑すら廃止しようとする活動家さえいます

この時こそ自分が親に言われたように、加害者の親は

「子の不始末」
に対して、

法律では死刑などを免れても

人を殺す不始末を犯した子を殺して自らも命を絶つ

侍の時代に例えるなら子を切り捨てた後で切腹が相当でしょう

本来それくらいの重い責任を背負うべきであり

そこまでの覚悟がない人間ばかりだから大人として子供達に示しがつかないのだと思いませんか?

大津市のいじめ自殺にしても加害者は弁護士を立てて裁判で争う以前に

被害者や遺族に詫びて

加害者の親は加害者になった子を殺め

自決する位で当然かと思いますし

それくらいの

けじめとしての

「落とし前」

のつけかたが当たり前になれば貴女の求める

「必殺仕事人」
など不要でしょう

大人はそれだけの覚悟を持つ事が普遍的になった方が

「日本を洗濯する」

事にもなるように思います


余談ではありますが自分もまだ若い十年以上前に

友人が水商売の関係で薬物を使ったという事を聞きました

それを聞いた自分は

「俺の目が黒いうちは絶対に許さん!
次そういう事をしたら貴様を殺して俺も死ぬ!」

という事を友人に言って怒った事があります

自他共に厳しく律するというのはこれ位の覚悟が必要かと…

大津市のいじめ自殺事件に関しても

以前自分の日記で
「加害者達や教職員達が手前の落とし前のつけかたもわからぬのであれば

現場の学校に行き
彼等の前で腹を切って

背負うモノの重さを教えてやろうか…」という
事を綴った

18日には現場の学校前で追悼献花の集まりがある事を知っていたので、足を運んだ

時間の関係で他の参加者とは会う事はなかったが…


もし抗議して割腹するつもりで現地に行っても右も左もわからなかったり

そこがホームかアウェイかもわからないと無闇に死地に飛び込む事になる

それは避けたかったし

死中に活路も見いだしたかったので
その日は現地の散策に終わったが…


20日には終業式で中学生達は夏休み期間に入ったらしい

中学生達がいる前で割腹するのはある意味子供達に

「トラウマ」

を与えてしまうかもしれない事も憂慮しているが

「責任から逃げる教師達や馬鹿な大人もいるが、
君たちの為に命を賭けれる大人がいる事を忘れないで欲しい…」

という思いや覚悟を彼等の前で伝えたい…

という気持ちもある

夏休み期間には警察の生徒に対しての聞き込みが行われると聞いた

そこからもう少し動向や経過を見て、

加害者達や当時の担任教師達に反省が無いのならば

その時こそ我が身命を賭してもけじめのとりかたを教えねばなるまい…




朝の光が 待てなくて

眠れない夜もあった

朝の光が待てなくて

間違った事もやった

僕が生まれた所が

世界の片隅なのか?

誰の上にだって

お日様は昇るんだ


川の流れの激しさに

足元がふるえている

燃える炎の厳しさに

足元がふるえている

僕が今見ているのが

世界の片隅なのか?

いくら捜したって

そんな所はない


うまくいかない時

死にたい時もある

世界のまん中で

生きてゆくためには

生きるという事に

命をかけてみたい

歴史が始まる前


人はケダモノだった


「世界のまん中 / ザ・ブルーハーツ」