ごあいさつ
はじめまして!
違う所でブログを書き綴ってきましたが
少しだぁれも知らない所で誰も読まないだろうと思ってアメブロ登録してみました
まずは、ウチの家族から紹介していきます。(2010年6月現在)
あたし 28歳(あと数日で29歳です
専業主婦したり、パートに出たりと落ち着きのない主婦です
プロフィール通り、ネガティブでものすごく人見知りをしますが
本当は話して欲しいし、仲良くなりたいって取り扱いにくい人です
趣味は、熱しやすく冷めやすいタイプなのでほぼ長続きしなかったりしますが
料理と編み物、カメラがとっても好きです。
旦那 32歳 4つ年上です
車とバイクをこよなく愛する、人から同情されるくらい優しい人ですw
とっても温和で、少し観点ずれて解釈する方でして・・まあ、それも玉に瑕くらいですw
趣味はもっぱら、車やバイクに関する事。
バイクはとても詳しくて、みんなから頼りにされてる自慢の旦那さんです。
釣りや、ドライブ、ゲームは2人して大好きです。
頼りがいはあるんだけど、2人して小心者です
同居が、将来決まっている 昔で言う本家長男の嫁でして
こんな旦那をあごで使っているようなあたしが同居してうまくいくのか不安ですw
簡単になれそめも
知り合ったのは2000年。今から10年前です。
バイト仲間でした
お互いの第一印象
あたし → 怖そう。話しかけたくないしお話したくないよ~
(ロンゲに茶髪&前髪が金髪だった。)
旦那 → 大人しそうな子。でも今時やなぁ~
(履歴書の写真を見たらしい・・でもタバコ吸ってるの見て今時だなと。)
そんな状態であったあたし達ですが
旦那は、仲良くなってきた頃
「ずっと一緒にいたら楽しいやろうな」
って思ったり、怖いって思ってたあたしも
旦那が髪をバッサリ切った事で一目惚れしてしまったりと...
今、思い出すと懐かしいやら、笑えるやら・・・
ほどなくして付き合い始め、4年間の交際をへて結婚
来月で7年目を迎えます。
結婚して2年くらいは赤ちゃんは様子見でした。
と、いうか解禁していなかったのです・・
お金の事情でもしできてしまったら。。と躊躇してしまったのです。
今から考えると「なんでそんな事してしまったんだろう」と思うばかりなんですが・・
結婚前から妊娠しにくい体といわれていて
結婚2年経った頃、解禁のついでに病院へ通い始めました。
ちょうど実家の近所に高度医療の婦人科が新しくできたのでそこへ。
あたしは元々太ってます・・。
幸い、身長がとても高いこともあって
「そこまで太ってるようには見えないけど?」とは言われたりしますが
(っていうか、同情?お世辞?)
で、初診から
「婦人科治療でなく、内科的治療を先にしないとダメ」と・・
血液検査の結果がよくなかったのです。
先生が書かれたメモには
・肝機能低下
・高血圧症
・高脂血症
・・・・・・・・・・・ (゚д゚;)
糖尿病一歩手前?
オッサンやないか、この病状。というショックな状態で治療が開始しました。
知らぬ間に
コレステロール値も中性脂肪値もハンパなく上がってました。
何より、尿酸値があがってたのがショックでした。
(医療の仕事をかじった事があったのでひどい事がわかりました・・)
まず、ダイエットから開始。
投薬治療と食事療法で塩分やら減らし、外食も減らし
4kgほど落ちました。
その結果は血液検査にも出て、やっと婦人科治療・不妊治療の開始。
もう流石に薬の名前は忘れてしまったのですが
投薬治療の排卵誘発剤を飲み、
卵管造影剤検査(エコーで撮るタイプ)をし
それでも結果が悪く、黄体機能不全という事がわかりました。
生理周期14日目頃に排卵するはずが
20日目頃に卵胞が排卵するくらいに成長する事が判明。
その頃、ステップアップ。
投薬から注射に変わりました。
hmgやhcgの排卵誘発剤です。
初めは、薬で卵成長→注射で排卵させる。
けど、あまり効果はあがらず。
注射で卵成長→注射で排卵。
さすがに1週間丸々ずっと注射なんて打った事なぞなく
腕はパンパンのカチカチ。
のちに交互に打ってもらっても良かったと知りました・・
その結果、妊娠
戸惑いながらも旦那と喜びました。
つわりもあって切迫流産もあって
でも無事、母子手帳を手にした時の感動は今でも覚えてます。
安定期に入って、そろそろベビー用品も買い揃えていかなきゃという時
晩御飯を食べてると、食べるのが辛いほどのおなかの痛み。
この時に病院へ行くべきでした。
市販の本を広げ、骨盤が開いてる時の痛みだろうと素人判断。
けど、そうではなかった。
やっぱり病院行こうと、次の日の朝、トイレに立った時、破水。
急いで旦那に帰ってきてもらい病院へ駆け込んだけど
もう羊水はほとんどなく。
径膣エコーでは赤ちゃんの姿は見えなかった。
安定期に入って旦那も一緒にエコー見れる時が来て
楽しみにしてたおなかのエコーを初めてその時に見た。
大きくなってた事もあるから今までで一番キレイに写ってて
探さずに心臓が見えた。
すっごくすっごく元気にパクパク動いてた。
旦那もそれ見て感動してた。
「産んであげられへんの?」
「なんであたしなん?」
中待合で2人して号泣した。
診断は、前期破水。
感染症の疑いがあるからと、抗生物質と張り止めの点滴を24時間。
絶対安静。
それでも、もうダメでした。
血液検査の結果は、感染の値が下がらない。
「このままでは敗血症になってしまうからもう・・・。」
抗生物質の点滴と張り止めの点滴は外され、数時間後には陣痛がくるって。
翌日になっても陣痛はこなくて、膣剤の陣痛促進剤を時間あけて2回投与。
2回目の投与から数十分後、この世のものとは思えないくらいの痛さ。
(生理痛を辛さをあたしは知りません)
普通に分娩室で、普通に出産する形で産みました。
2009年1月24日。
19週2日。
小さな小さな男の子。
4日間入院し、翌日に小さなお葬式に小さな遺骨小さな位牌。
今も、寝室にいます。
それから精神的にまいり
今でもトイレで破水した事を鮮明にフラッシュバックを起こします。
それでも、旦那の子供が欲しい。
約半年後。
もう一度、病院へ通い始めました。
次は違う病院へ。
また一から全部説明するのはとても心がえぐられそうな思いでした。
それでも、また頑張ろう。
一から説明って事は一から治療が始まるワケで。
また投薬から。
けど、どこかで
”そんなん効かないよ”って思ってました。
治療し始めて2ヶ月も経った頃、卵管造影の検査もしました。
今度は2日にわけてレントゲンで撮るというもの。
卵管は通っていたけど、子宮奇形か子宮筋腫の疑いが出ました。
それでも、この状態で妊娠する事は可能だし、継続も可能だと。
あと、子宮頚管無力症の疑いも・・・。
けど、再び妊娠しました。
卵管造影検査のゴールデン期間といわれる期間中の1ヶ月目で。
(ちなみに、1人目の時もゴールデン期間中)
けど、卵の成長が悪い時の受精だったしく
一度、エコーで姿を見たのち、7週2日で完全流産。
流石に落ち込みました。
死産の時に比べたら、全然まし・・というか
次元が違うお話って感じで。
妊娠反応があった!
けど、1人目の事もあり、正直喜べなかった。
先生は終始『流産』の事しか話さない。
待合室で1人、待つのは辛かった。
たまらずトイレで泣いた。
看護師の友達に声かけられまた泣いた。
諦めて主婦業を頑張りましたけどね
それから8ヶ月。
また同じ病院にて治療中です。
来周期から注射にステップアップ予定です。
今は、パートで頑張り主婦業頑張り、嫁業も頑張ってる・・?
まさか自分が妊娠した事も驚きなのに
初めての妊娠で、死産
2度目の妊娠で、流産を経験するなんて思ってもいませんでした。
なにより今は”不育症”の事が頭から離れません。
あっけらかんと毎日旦那と一生懸命生活していってますが
それでも、波が激しく、鬱になってり超ゴキゲンでいたりと
旦那がかわいそうなくらい気持ちがウロウロしています。
知り合いの”妊娠報告”には過剰に反応し
とってもすばらしい事なのに素直に喜べません。
どんだけ人間ちっこいんだって自己嫌悪。
そんな時、某ブログで愚痴とか書いてたのですが
落ち込んだ時、愚痴りたい時、悪意に満ちたブログになってしまうのですよ。
別に当て付けではないのだけど、どう読んでも当て付け。
あたしのブログ!
気兼ねなしに書きたい!
・・という自己中で登録しました。
夫婦2人。
お空に子供が2人。
家族って呼べる地上ママに早くなりたいです。
へんてこなコテコテ関西人ですが
どうぞ、よろしくお願いします
とっても長いごあいさつになりました。
お付き合いありがとうございます
くまま
今こう書くと、懐かしいやら笑えるやら・・・