みなさんは、入院したことはありますか?
私は初めて入院を経験して、いろいろとわかったことがあります。
そして強制的に環境が変化する為に、価値化も変わりました。
さらに、私が行っていた事業も縮小する事になりました。(汗
起業家のブログの最初が倒産した事から始まるなんて。
◆入院で変化
病院に拘束されます。
病室のベッドに拘束され、夜9時から朝6時までは消灯時間という時間拘束されます。
この拘束がとても辛いのと、この間は誰とも連絡が取れなくなるので、さびしいです。
毎日、お見舞いに来てくれたり世話をしてくれる身内の人が居れば、まだ、わがままや
愚痴もこぼせるでしょう。
私にもたくさんいるだろう。と思っていたら、
みなさん、ご自分の生活を守るためのお仕事、大変なんです。
私もそうでした。
病気で不自由になります。
入院当初の1週間は、鎮痛剤で何とか苦痛に耐える日々でした。
幸いな事に、ガンは有りませんでしたが、ガン患者が書いたブログは毎日読んでいて、
私も他人事とは思えない心境になっていきました。
そう思うと、病院は人生の成績簿みたいなものだと感じます。
日々、少しだけ飲みすぎた。少しタバコを吸いすぎた。やっちゃった・・・。
という回数分だけ、はっきりと体に刻み込まれ成績簿として数値化されます。
個人差もあるし、親から受け継いだ遺伝的要素も有ります。
自分との闘いを痛感します。
当たり前ですが、医師も看護師も全力で直してくれては居ますが、
速く治したいからと、誰かに助っ人を頼んで、一緒に病気を克服する事は出来ません。
仕事とは大違いで、自分で直すしかないんです。
当たり前なのですが、どんなに看病に来てくれる人が居たとしても、
その人に何を頼んでも、自分の病気って自分でしか直せないんですよね。
プラス思考で過ごすしかありません。
自分との闘いとは言え、どんなに頑張ってもすぐに良くなるものでは有りません。
日々の生活の集大成として病気になったのですから・・・。(ノω・、)
病気に対して戦うぞって気持ちになるのも、
あきらめて死にたいって思うのも、自由なんです。
マイナス思考になればなるほど、病院に居るのがしんどくなります。
自分を頼る人が見えてくる。
結局、仕事で私が居ないとどうしようもない時のみ、連絡が来ます。
「病気を心配して面会に来てくれる。」
これだけの事が、自分の中ではとても大きな事に感じました。
今まで、どうでもいいんだろうな。
と思ってた人が来てくれたりした時、本当に嬉しいものですし、
退院してからも、特別な存在になったりします。
逆に、いつもいつも時間を割いて優先的に会っていた人が、
入院後全く会いに来なくなったりしました。
人間性というか、大切な
人に対する思いやりの度合いが見えてくるという感じです。
事業の縮小を余儀なくされた。
ちょうど入院したあたりに仕事が見送りになったり、
先行きを心配したスタッフが辞めてしまった事もあり、事業の縮小を決定しました。
長年の雇用体系や、正社員を何名も抱えていれば責任も大きいのですが、
私の場合は、スポット採用というかパート、アルバイト主体でやってきました。
それが、私の病気と直結してしまったんでしょう。
本来、社長なんて居なくてもしばらくは会社は回らなくてはならないのです。
仕事人間として、自分自身を酷使し続けてきた体はガタが来てしまいました。
仕事を優先し、死と直面し、そのままくたばるという可能性があった事を考えると、
仕事を優先してきた事には、価値は有りませんでした。
もともと雇われる事が嫌いな私の性格ですから、
ゆっくりと自分の時間、そして周りの関係する方々を大切にできるような生き方を
していきたいと考えています。
売り上げも自然に上がるようなビジネスモデルを模索したいとも考えています。
今後は、人生をゆっくり考え直し、ゆったりと出来る起業を考えて行きます。
私は初めて入院を経験して、いろいろとわかったことがあります。
そして強制的に環境が変化する為に、価値化も変わりました。
さらに、私が行っていた事業も縮小する事になりました。(汗
起業家のブログの最初が倒産した事から始まるなんて。
◆入院で変化
病院に拘束されます。
病室のベッドに拘束され、夜9時から朝6時までは消灯時間という時間拘束されます。
この拘束がとても辛いのと、この間は誰とも連絡が取れなくなるので、さびしいです。
毎日、お見舞いに来てくれたり世話をしてくれる身内の人が居れば、まだ、わがままや
愚痴もこぼせるでしょう。
私にもたくさんいるだろう。と思っていたら、
みなさん、ご自分の生活を守るためのお仕事、大変なんです。
私もそうでした。
病気で不自由になります。
入院当初の1週間は、鎮痛剤で何とか苦痛に耐える日々でした。
幸いな事に、ガンは有りませんでしたが、ガン患者が書いたブログは毎日読んでいて、
私も他人事とは思えない心境になっていきました。
そう思うと、病院は人生の成績簿みたいなものだと感じます。
日々、少しだけ飲みすぎた。少しタバコを吸いすぎた。やっちゃった・・・。
という回数分だけ、はっきりと体に刻み込まれ成績簿として数値化されます。
個人差もあるし、親から受け継いだ遺伝的要素も有ります。
自分との闘いを痛感します。
当たり前ですが、医師も看護師も全力で直してくれては居ますが、
速く治したいからと、誰かに助っ人を頼んで、一緒に病気を克服する事は出来ません。
仕事とは大違いで、自分で直すしかないんです。
当たり前なのですが、どんなに看病に来てくれる人が居たとしても、
その人に何を頼んでも、自分の病気って自分でしか直せないんですよね。
プラス思考で過ごすしかありません。
自分との闘いとは言え、どんなに頑張ってもすぐに良くなるものでは有りません。
日々の生活の集大成として病気になったのですから・・・。(ノω・、)
病気に対して戦うぞって気持ちになるのも、
あきらめて死にたいって思うのも、自由なんです。
マイナス思考になればなるほど、病院に居るのがしんどくなります。
自分を頼る人が見えてくる。
結局、仕事で私が居ないとどうしようもない時のみ、連絡が来ます。
「病気を心配して面会に来てくれる。」
これだけの事が、自分の中ではとても大きな事に感じました。
今まで、どうでもいいんだろうな。
と思ってた人が来てくれたりした時、本当に嬉しいものですし、
退院してからも、特別な存在になったりします。
逆に、いつもいつも時間を割いて優先的に会っていた人が、
入院後全く会いに来なくなったりしました。
人間性というか、大切な
人に対する思いやりの度合いが見えてくるという感じです。
事業の縮小を余儀なくされた。
ちょうど入院したあたりに仕事が見送りになったり、
先行きを心配したスタッフが辞めてしまった事もあり、事業の縮小を決定しました。
長年の雇用体系や、正社員を何名も抱えていれば責任も大きいのですが、
私の場合は、スポット採用というかパート、アルバイト主体でやってきました。
それが、私の病気と直結してしまったんでしょう。
本来、社長なんて居なくてもしばらくは会社は回らなくてはならないのです。
仕事人間として、自分自身を酷使し続けてきた体はガタが来てしまいました。
仕事を優先し、死と直面し、そのままくたばるという可能性があった事を考えると、
仕事を優先してきた事には、価値は有りませんでした。
もともと雇われる事が嫌いな私の性格ですから、
ゆっくりと自分の時間、そして周りの関係する方々を大切にできるような生き方を
していきたいと考えています。
売り上げも自然に上がるようなビジネスモデルを模索したいとも考えています。
今後は、人生をゆっくり考え直し、ゆったりと出来る起業を考えて行きます。