2021は現物を持つようになったのであまり大きなロスカットは無かった気がする
思い出そうと思って思い出すくらいである。
①1月
BYBIT:BTC
▲10
1.4東京ドームを見ている間に切らた。試合中もこっそりチャートばかり見ていた。
今にして思えば声援を出せるドームはこれが最後だったので、もっと集中して見ればよかった。
GMOのイーサがポジションを持った瞬間に切られなぜかプラスで約定するという謎現象が起きた。
たぶんロスカット時は成行き決済で、BOTか何かでフラッシュクラッシュで落ちて速攻戻った際の数値が成り行きとして採用されたのかもしれない。このころはBYBITのイーサでも似たようなことがあった。
GMOは板が薄く狙われやすいのかもしれない。
あまりネットでも話題にはならなかったが、これも狙って遠くに指値をおくのを試してみたがその後は起きなかった。
②1月
GMO:BTC イーサ
正月休み最後の3連休でATHした。40000ドルくらいだった。
20000から30000、30000から40000と本当に早かった。
GMOが春からレバ2になるのでレバ4のうちにやっておこうとやっていた。
王道石井の駐車場でATH付近を眺めていた。
ようやくプラス水準になりそのプラス額も100万単位で増えて有頂天だった。
だが3連休明け失速、一気に30000を目指す。
こんなに一気に上げたら危ないんだよという事を当時は知らなかった。
長崎ちゃんぽんを食べている際に上の玉から破綻。
GMOは立てた玉ごとにロスカットしていくので、これで済んだのかもしれない。
BYBITで一つの玉にまとめてたら全部やられていたかも。
▲70くらい
一旦配給原点くらいに戻る。
③2月
GMO:BTC イーサ
2月は月初に123でディスクアップを打った後笑顔の湯に入っている間に40000に戻った。
一気に44000くらいまで行ったと思う。
良い記憶として残っているので銭湯アノマリーは以降活用した。
月末給料日前に下落した。この頃はSQ決済を意識した動きが多々あり、日毎予算の強弱との連動性を感じるようになる。
月末に今後の進路相談をS館の事務所で統括と話した日に破綻。
閉店後呆然としながらS館の設定変更をした記憶がある。
退職を意識しつつも強気と弱気が交差する
▲50くらい
④5月
BYBIT:BTC
▲100くらい
このころは3月頃から現物主導に切り替えており、ほぼトレードしていなかった。というかJPYはほぼなく現物全ツッパだった。
3月にバイナンスに資金を流し、ADA・DOT・SOL・BNBなどの中堅に着手。
4月にパンケーキとユニスワップを覚え、海外CEXも多数開いた。
SHIBはHOTBITに閉じ込められ、動物系のミームにも手を出した。
4/15付近でBTCはATHを付けた。
秋葉原で遊技機取り扱いの再講習も浮ついた気持ちで受けたら落ちた。明らかに気が緩んでいた。
帰りの電車で就職中だか新入社員だかのスーツを着た若い女性が隣に座りスマホでバイナンスの画面を開いていたのでかなりびっくりした。自分もスマホでバイナンスを見て向こうにシンパシーを感じさせようとしてみた。
上がってますよね?とか声掛けようかとは思わなかった。
今にして思えば、かなりの靴磨きファンダだった
翌日123のディスクアップで自己最多の4600枚の10万負けしたが、気持ちは痛くもかゆくもなかった。
5月月初は雰囲気はそこまで悪くなかった。
だが中国のマイニング規制報道で空気がおかしくなる。SELL IN MAY という言葉を当時は知らなかった。
42000を割ったら危ない、とは思っていたが市原警察署に拾得物だか書類提出に行っている間に割った。
36000辺りにロスカットをおいてBFからBYBITに資金を流した。BFには100万入れてロスカットしない現物トレードみたいにやっていたが、その資金を全部BYBITに持っていき焼かれた。
一気に30000を割る歴史的暴落となった。
事務所のPCでCOINMARKETCAPを見ると340万とかになっており夢なのじゃないかと疑う。
ALL現物でも500くらいは資産が減っており地獄だった。
4月のATHで売れる技術はないだろうけど、部分利確してステーブル比率を増やすとかやりかたはあったかと反省する。
次にATHするのは何年後かわからないが、ATH後の戦略というのも考えたていた方が良いのかと今思う。
以降は2021年は目立ったロスカットは無かった。
だが現物投資で失敗した件は多数。
まあそれは仕方ない。