モンテッソーリの学び①

(2024.4.13~4.14)

 

 

発表会の直前ではありましたが

京都まで研修に行ってきました。

(1回でも欠席すると…2年目やり直し可能性大💦)

 

 

2021.4~2024.3まで「基礎コース」に在籍し、

京都、東京の授業に出ていましたが、より深く学ぶため、

今年新たに「専門コース」に在籍することになりました。

 

 

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日曜日レッスンは

毎月お休みが入ってしまうのですが

 

 

「レッスンのない日に遊びに行ってます!」

と、調整にご協力いただき感です。

本当にありがとうございます。

 

 

さて、1日目は

【オリエンテーション】と【感覚教育】の授業を

みっちり受けてきました。

 

 

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覚えても覚えても忘れてしまう…

慌ててメモを取ったのにその字が読めない…

周りは現役の保育者ばかり…

娘よりも若い先生方と一緒に…

 

 

さらには、教科書らしきものが全く無い!!

自分の学び取ったものを、

自分の教科書にしていかなければなりません。

 

 

年齢&環境ハンディーを抱えながら

頑張っております(;^_^A

 

 

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脳みそフル活動の後、

新しく出会った先生と京都駅で別れ、

滞在先のホテルで夜な夜なノートまとめ!!

 

 

気づいたら翌朝3時だったので

急いで寝て、また朝7時に出発!

 

 

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遊ぶ時間も惜しんで頑張れるのは、

学ぶ度に感動で涙が溢れるからです。

 

 

モンテッソーリに出会ったのは2001年(長女誕生時)

当時は、周りに知っている人はいなかったし、

誰にも共感してもらえなかった教育法でした。

 

 

当時「そんな教育法しなくていい」

と反対していた私の実母も、今では

 

 

「あなたは立派な母親をやってる。尊敬してるよ」

と言ってくれるようになりました。

(育った我が子たちが証明してくれたのだと思います)

 

 

今では、華々しいニュースとともに

一躍有名になったモンテッソーリ。

 

 

うれしい反面、

そこには本物がなかったり・・・

なんちゃってモンテだったり・・・

目的を達成できない教具だったり・・・

お仕事が独り歩きしている現状もあります・・・

 

 

本当は、もっともっと

深くて豊かで静かで

いい意味で厳しい世界なのです。

 

 

モンテッソーリが伝えたかった大切なものを

受け継いでいけるよう精進したいと思っています。

 

 

帰宅後は発表会準備にいそしみ・・・

発表会後はレポートにいそしんでいます(笑)

 

 

今回のレポート課題は、

【モンテッソーリの発見】13章から

 

 

本を読みながら感動し、

生徒とのレッスンや自分の子育てを思い出し

毎回、胸を熱くしながらまとめています。

 

 

↓私の学びの記録として↓

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モンテッソーリの発見 13章 日常生活の活動

 

『活動の動機』を置いておくこと。まさしく、私がレッスンで日々意識していることです。これまでの独学モンテッソーリ、様々な学び、経験の中で、その関わり方の方が効果的で、お互いの気持ちがスムーズに進むこと。また、子どもにとっての喜び、達成感が強いものだという経験からの関わり方でしたが、自分のやっていることの言語化ができていませんでした。この言葉に触れた瞬間、これだ!と嬉しくなりました。わずかながら、モンテッソーリの精神を引き継げていることに喜びを感じています。

 

通常のピアノレッスンは、「先生が教えること」「先生のマネすること」をメインとすることが多いのですが、私のレッスンはそれとは大きく異なります。子どもが生まれ持った肉体、すでに持っている可能性を使いこなすポイントを伝えながら、うまく使えるように一緒に工夫していく。その子のその日の『生物学的な要求』を探し見極められるよう、全体を見ながら私自身が「集中」しています。子ども自身が気がついた時、困っている時に「こんな風にしてみる?」と誘います。見せ方、教え方は、理解度に応じて少しづつ手放し。見てほしい部分は、分析して、ゆっくり、心の中で「ここよ」と語りかけます。ここはモンテッソーリの見せ方、「教えながら教えなさい」を活かせるように意識し続けています。

 

さらには、ミスや不得意な部分を、「魅力的に」発見させられるよう工夫しています。レベルアップできそうなら、「ちょっと難しくしてみてもいい?」と付け加えながら、本人がその難しい場所を見つけたように声掛け。まだ慣れていない子は、その難しい部分に気づくことも難しいのですが、そんなときは、その子のタイミングを探すように心がけます。その日の指導はやめておくこともあります。その日の達成感、満足感を持ってもらうことのほうを優先します。

 

ミスは『訂正』せず、本人が気づくよう待ったり、ヒントを与えます。そのポイントは一人ひとり違うので、必要な動作を分析して見せるようにすることもあります。できたときの静かな喜びを見たとき、心の中で(おめでとう)と思う、そんな自分自身もうれしいです。

 

レッスンスタートした1歳児さん。とにかく体を使いたいけれども、うまく表現できないため、物を投げたり暴れてしまうことが多く、ご両親も少し手を焼いているように見えました。私はしばらく観察した後、かたい蓋の容器や木製で少し重めの椅子を置いておきました。蓋を開け閉めしたり、椅子を運んだり、みるみる落ち着きを取り戻してくれて笑顔に。片付けの「手伝い」もしてくれるようになりました。この子は大人の欲を察する力が高いと感じます。少しでも大人が操作しようものなら、瞬時に反応が出ます。その反応を見極めながら、心が整った瞬間に音楽につなげていきます。私の中にモンテッソーリがなかったら「レッスンできません」とお伝えしなければならなかったかもしれません。生徒に教えてもらいながら…親子の力になりたいなと感じています。

 

それぞれの課題に対して、生徒たちは「成長の途中」を味わっているので、ピアノでできないときがあっても怒ったり諦めたり嫌がったりする子はいません。「もう1回やる!」と自分で取り掛かります。これはまさしく『その運動を自分の体におぼえこませるための特別な能力が授けられている』瞬間だと思います。長年、「ピアノレッスンはツールであって、私の教えたいことはピアノだけではない」と心では明確になっていたのですが、『活動の目的が実践面にあるのではないということ』として、本が私の思いを引き出してくれた(学びが少しずつ実践できていた)ことに、今喜びを感じています。

 

『真似の可能性をなくすこと』という言葉にも感激がありました。ピアノ指導には必須と思い込まれてきた部分を、できる限り「本人の気づき」の中で受け取ってほしいと願ってきたからです。本番前やどうしても間に合わない緊急時にのみ、最後の手段として「マネして~」と伝えることもありますが・・・近い将来、これも不要になるような指導をしていきたいと思います。

 

何かできるようになることが目的ではなく、『生物学的な要求』に従って何かを得るためにエネルギーを費やせること、そこに至る道のりこそが、子どもの心身を豊かに育てることだと思います。ついつい見えるものに信頼を置きやすい大人が多いものではありますが、見えない心の喜びを眩しく見てほしいと願っています。まだまだ学びの途中なので、私の中全てが子どもの環境になるよう精進していきたいと思います。

 

モンテッソーリ教育に出会ったのは、2001年長女(第1子)が誕生した時でしたが、それよりも随分前、最初に「幼児教育の必要性」「環境の大切さ」を感じたきっかけがありました。当時、地域のいろいろな園で演奏活動を行っていました。ある園では、立ったり座ったり、おしゃべりしたり喧嘩したり・・・動き回る子たちが多いのに対して、別の園では、興味深く聞いてくれたり、楽しそうに目を輝かせてのぞき込んで聴いてくれたり、静かに座って聴いてくれていました。どこも、同じ市内で公立の園でした。「これは子どもたちの違いではない(多少の地域差はあるにしても)」と感じながら演奏していたのを覚えています。同じ時間を過ごしているのに、興味を持つことのできない環境にあること、幼児期でこんなに価値観が違うという衝撃とともに、貴重な時間(毎日成長していていく子どもの時間)がもったいないと感じました。だからこそ、わが子が誕生した時には、環境を探そうと決めていました。モンテッソーリ教育って大きくなったらどうなるのか(経験は消えてしまうのではないか)予想ができなかったのですが、実際は大人になればなるほど、その影響を受けていることがわかります。

 

『すでにこうした緊急事態に備えていますから』を読んで、ふと思い出したことがありました。我が子3人の中で一番モンテッソーリ歴が長い長男(第2子のため誕生前からモンテッソーリの環境)も、誰かが何かをこぼしたとき、黙ってタオルを持ってきてサッサと拭き上げます。相手を責めるような言動はありません。起こったことにどう対応するのかを知っていること、相手を尊重すること、失敗をマイナスに捉えないことを経験に持っています。この姿を見たとき、いろいろ言いたくなった私自身を恥じたことを思い出しました。20歳になった今も変わりません。我慢する様子、特別な様子もなく、当たり前のように動いてくれます。友だちとの関わり方も、個を認め、尊敬して関わっているのが分かります。小さなころから培ってきた力ってすごいなと改めて感じます。

 

モンテッソーリ教育誕生から110年以上、「モンテッソーリの発見」が日本で発売されてから約50年。いつ読んでも学んでも新しい感覚なのは、まだまだ私の中に浸透していないのだなと感じます。もっともっと深く知り、自分の中に当たり前にしていきたいと改めて感じています。自分もモンテッソーリ教育のある中で育ってみたかったという思いと、今からでも遅くはないという思いが入り混じっています。そして毎回、感動で涙がこぼれます。学びの環境にいられることに感謝です。この学びは、様々な気付きを与えてくれています。これまでの経験を参考にしながらも、これから新しい目、耳、手、感覚で学びを深めていきたいと強く思っています。