「アメリカは京都の文化遺産を守るために空襲をしなかった」との俗説がある。

これをウォーナー伝説といいます。

今日も、終戦の日、某放送局の某解説員が、この都市伝説をまことしやかに喧伝してました。

アメリカ軍の初期の頃の空襲目標は、軍事基地や軍需工場です、京都が免れたのは前記の条件からすると優先度が低かったからです、そのうち空襲被害の少ない京都は原爆投下威力を判定するのに最善の地域として、空襲目標地域から外されたためだとされています。その証拠に、全く空襲がなかった訳ではありません。今回の解説員は、その訂正だけはされてました。

では 何故原爆投下もされなかったか?


それは、戦後の日本占領計画に支障を来たすとスチムソン陸軍長官がトルーマン大統領に原爆投下目標から京都を外すよう説得し、六月アーノルド指令でも、通常空襲から外したからです。

単純に文化遺産を守るためではありません、京都は天皇に所縁が深い地域で天皇と国民の関係性を考えると、そこを原爆で破壊する事は日本国民にアメリカに対して友好的感情をもたらす事が不可能になる可能性があり、ソ連を利する可能性があると判断したためとされています。 


 アメリカにして見れば自国の勝利と戦後の対ソ戦略のためには京都の文化財など全く興味はありません、戦後の占領政策で中核を担うのは陸軍です、勝利が決定的な状況であえて京都に原爆を投下する事は陸軍にとってはデメリットが大きすぎただけなのです。

戦後、京都市民の間では、周囲の大阪、神戸、名古屋などの大都市が軒並み焼夷弾攻撃にさらされるなか、京都だけが無傷のままであることを不審に思い、これはアメリカが文化財保護のために京都攻撃を避けている、と次第に信じるようになります。南の夜空を焦がす大阪方面の大火災や、アメリカの大編隊を度々見せつけられれば、京都市民のこの思いが、確信に育っていったのも無理からぬことであると思います。

ここから、戦後の「ウォーナー伝説」が生まれます。すなわち、京都、奈良が爆撃を免れたのは、アメリカによる文化財保護政策のおかげであり、その恩人はウォーナー博士であるという説になります。

学者吉田守男氏は、「京都に原爆を投下せよ」にて、この説を徹底的に分析し、いかに誤りであるかを鋭く論破しておられますが、なかなか定説とまではなってない様に思います。

ちなみに、ウォーナー氏は戦前2回も来日、最初岡倉天心の元で横山大観、下村観山、菱田春草らと一緒に過ごし、日本美術を学んだ。

二回目は奈良の新納忠之介のところで、仏像彫刻を学んだという。

世の中のことで、誤信している事は、意外にたくさんあると思います。