※物語風に過去の親子のやり取りを綴ってみました
(一応、8~9割以上ノンフィクションのはず💦)
約3年前、小学2年の夏(ピアノ購入の約5か月前)
外は暑いのに“いつも借りているその場所”はとても涼しく過ごしやすかったが、僕ら親子ともかなり熱くなっていたのです。
「あぁ~!!1万回もやればいいの!!」
れんしゅうの最中で子どもの大声が轟きます…かなり怒っている様子です。
(先生から練習ポイントとしているところを含め)バーナムの基礎連の最中だったと思います。基礎は徹底的にの口癖の親父は、いつものように、
(親父)“あっ、そこもう1回…、もう少しだね…あと1回、、、んっ、苦手なんだな、はいもう1回”…
と言ったことに対した、子どもなりの怒りが爆発したのでした。
その怒り…「ぶち切れ」てきたことに対し…親父の方は心の中で、(…またか…)と少し考えて、
息子へ、いくつか少し大きめの声で、怒るでもなく諭すでもなく、冷静を装いながらも真っすぐに伝えます。
「まずは、先生から言われた内容を「反復をして、納得がいくまでやる」というのは当たり前のことだよ」
「それを一人でできればいいが、分からない内は親が付き合う時は必要。いつもは付き合えない。そして、俺(親父)は君をいじめている訳ではない。教え方はへたなのかもしれないね。いや、きっとへたなんだな。それでも頑張っているんだよ」
「やる、やらないは自由。“やらされている”という想いがあるなら、別にやめていいと思う。こっちはレッスン代を払わなくて済む。君は得意なことが一つ減る」
「常に“音楽を聴く人がいる”という前提、目的でれんしゅうをする」
「ステージの本番はひとりになる、親はれんしゅうにしか付き合えない」
色々と話を伝えるものの、理解していないかもしれないと思い、親父は気持ちの整理をして、言われた言葉の説明を試みます。
さて、1万回という数字は多いのだろうか?
と問う、「むりだ!」と息子は答えました。
はたしてそうだろうか?
確かに1度に…または1日にできる数字ではない、
ただし、途方もない、できない数字ではない、
算数で掛け算を習っていると思う、こういうときに使える
1日に同じところではなくても、全部合わせるとだいたい100回はれんしゅうをやっているとする。毎日まさに100回は弾いている。それはたいしたもの!そして、
1か月は何日? ⇒ (息子)だいたい30日とか、31日とか?
そう、1か月で単純に計算すると3,000回
2か月で6,000回
3か月で9,000回
あと10日やって1万回。
君が言った、「1万回やればいいの?」は地道に積み重ねていけば、たったの3か月と10日で必ず達成するし、それは単なる通過点でしかない。
何ってことはない。当然のことだけれど、その1回1回こころを込める必要があるよね。
……息子は、「うーん…」と考えているのか分からない様子。痺れを切らした親父は、
あと、もう1度大事なことを聞くが、
基礎もままならずにれんしゅうを途中で投げ出して演奏する音楽、
納得できるまで、身体に馴染むまで反復を続けてれんしゅうをした上で演奏する音楽
君はどちらの演奏を聴きたいと思うのか。
君自身が考えて決めるといい。
音楽で“伝える”というのは簡単なことじゃないんだよ。
(息子)「………」
息子は無言でした。どこまで理解してくれたかは、心はどう感じたでしょう。
何はともあれ、「無言で」れんしゅうを続けていました。
そんなやりとりをした後は、親父は距離をとり、ただただれんしゅうを見守り、「待つ」というのを徹底しました。心の中では “親のエゴ”ではないのか…と自問自答したり、“この次はどう伝えようか、どう表現しようか”など反省をする親父なのでした。
れんしゅうが終わるとおやつを買い、一緒に散歩をしたりゲームで遊んだり、ご褒美は忘れないようにしていました。
また、次の日何事もなかったかのように練習が始まり、そしてまた喧嘩が始まります。
それでも続けて、続けて、続けて、続けていった
その年の冬、お家に大きなピアノが届くのでした。
嬉しそうに息子は
「俺の(ピアノ)だ!」
お父さん(親父)、お母さんは嬉しそうでした。
修行はまだまだはじまったばかりです。
おしまい