生きるために 生き抜くために 命の岐路 1 | 今を生きられることに感謝して

今を生きられることに感謝して

2004年6月緊急手術から始まった卵巣がん闘病の日々。
2015年10月末、再再再発治療終了。
治療中に始めた写真。2007年1月から。独学。

そう、いつからかこの「生きるために 生き抜くために」のフレーズがいつも頭をよぎっていました。

でもここしばらくこのフレーズが出現していなかったのに気が付きました。

自分の病気のこと考える間もなかったからかもしれません。


長い時間この病気と向かい合っているといろんなことがありました。

にわかには信じられない話など記録に残したこともあります。(それはいつか書くかもしれませんが・・・)


今回は生きるための選択した2年前の話です。


私のもう一つのブログより抜粋

2015年2月4日
「実は先週マーカー値が18ほど上がっていて、急きょ翌日CTを撮ることに。
その翌日担当医から電話があり、想像もしていなかったことが明らかに。
最後の治療から約7年半、寛解したと思っていました。
実は5年半前にCTとPETで背中側のリンパ節に見つかった3㎝の腫れが、
病院の提案で生検しがん細胞が見つからず、がんではなかったということになっていました。
その部分が今回大きくなっているということで再再再発ということのようでした。
まさかそんなことがあるとは思ってもみませんでした。
よく5年半もそんなに大きくならずに・・・(1、7cm)
 そして、こちらが問題でその腫瘍の影響で腎臓が・・・」


その時主治医の話では腫瘍で尿管が圧迫されて片方の腎臓が機能していない。

尿管ステントの手術して管が通らなかったら腎瘻の手術と。

あなたは抗がん剤が効くから腎瘻になってもすぐに腫瘍が小さくなって腎瘻外せるから。


泌尿器科の医師の話聞きました。

全然話が違います。

腎瘻になったら外せる人がないこともない。

正直言うと腎臓は2つあるので一つしか機能していない人(特に高齢者の方など)

いくらでもおられます。腎瘻だとQOLが落ちます。手術しないという選択を自分なら勧めます。


で、主治医の女医さんにセカンドオピニオンに行きたいこと申し出ました。

それは快く了承してもらいました。

でもなかなか早い時期にはセカンドオピニオンの予約はとれなくてそれでも最短で予約しました。

そしてその前日が主治医の検診日でした。

聞かれて明日がセカンドオピニオンの日ですと言いましたが、もうそれは無視でした。

手術の予約して手術後そのまま抗がん剤治療始めますと。

(まだその時マーカーもそれほど上がってはいませんでした)

抗がん剤は何を使うのか聞いたら標準治療はTCだからそれしかできませんと。

折角のセカンドオピニオンの結果も待たずの話に納得はできませんでした。

また手術はできません。一ヵ所に転移があるということはあちこちにあるということだからと。

(そのころは1ヵ所だったら手術できればするというのが広まっていたと思います)


この主治医になった3年前からいつもお願いしていた血液検査全般が拒絶されて

腫瘍マーカーCA125だけしか調べてもらえませんでした。

私は漢方も処方してもらっているので肝臓の値は見て行かなければならないと

どんなにお願いしてもダメでした。

もし血液検査続けてていたら腎臓の値の異常に気付けたかもしれないと思っています。

(かねがね前回の話と正反対の話されたりその他のことでも不信感は持っていました。

でも手術した病院でしか治療はしてもらえないという定説がありあきらめていました。)


それでそんなことは無いと思いますがもし万が一転院などすることは可能でしょうかと

聞いておきました。問題ないというお返事でした。


セカンドオピニオン無事行くことが出来ました。

緊張と神にもすがる思いでした。


この時のブログの記事です


「 今までの主治医の見解と治療とは全く違った見解と提案が。
主治医のあまりに性急でショッキングな治療計画に
とまどいと疑問を持っていた私には、完全に納得できる内容でした。
信頼できる先生と出会うことができて、すべてお任せすることになりました。
受け入れていただける幸運に本当に感謝しています。」


その先生から紹介していただいた医師にとても難しい手術していただきました。


いつもありがとうございます

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