人魚の肉を喰らって

不老不死となり 800年も日本中をさまよったとされる 八百比丘尼が入定したとされる 洞穴が若狭にありまして


行ってきました。


空院寺さん

手ブレで ウネウネ(~˙ᵕ‎˙)~

(経年劣化で 判読不明箇所は◻︎に。)

八百比丘尼 不老長寿伝説


斉明天皇の白雉五年(西暦654)若狭国祖荒礪の命の末流、勢村(現在の小浜市勢)の高橋長者権太夫の家に姫が生まれました。膚は白玉のようにかがや◻︎顔形も優美で生まれながらにして智恵徳行がそなわっていましたので、世の人々は神仏の再来と崇めました。姫が十六さいの時、父の高橋長者が竜宮でのおみやげという「人魚の肉 」を食べたところ、不思議や、幾さいにな っても年老いることなく十六さい頃の若々しさと美貌気品がただよっていましたので、人々は驚嘆し合ったといわれています。 姫は百二十さいの時、髪を◻︎り僧形 (比丘尼姿となって諸国巡遊 の旅に出かけられました。◻︎所に五十年、彼処に百年と止往して 神祠仏閣を建立修造し、道路◻︎開き橋を架け、時には五穀豊穣・樹木繁茂の技術を教え、人々に神◻︎への信仰と正しい人倫道徳を説き導きましたので、いたる所で◻︎◻︎尊崇を受けられたということです。 後花園天皇宝德元年(西暦一四四九年)七月、京都清水の定水庵で姫は諸国巡遊の旅を止めて生まれ故郷の若狭国に帰られました。後瀬山中の神明社の傍に庵を建て住居とされていましたが、八百さいになられたある日、(現在の空印寺境内にある大岩窟にて静かに入定なさいました。後世◻︎人々は、姫を八百比丘尼、または八百姫、長寿の姫と尊称し、姫がことのほか椿の花を愛し入定洞入ロに椿を植えていかれたので玉椿の姫とも申し上げたということです。

この入定洞窟にてお祈りをすれば、必ず不思議な霊験があらわれるとのことで、遠郊近在、老若男女を問わず、福徳長寿を願い諸病平癒諸願成就を祈り加護を念ずる信心深い方々の訪れは絶 えたことがありません。

どうぞ皆さんも真心こめて祈願しご霊験ご利益にあずかってください。


たのみなば いのちのほどや ながからん

いわまのしずく つきぬかぎりに







人魚の森に出てきた なりそこない でも出てきそうな雰囲気:( ;´꒳`;):




場違い感満載


観光地によくある 顔ハメパネル?かな

と裏に回ってみますと



正解( •̀∀•́ )b


近くに 若狭一宮社がありましたので

若狭姫神社と





若狭彦神社




ここで お手洗い 漏れそ(°∀°)ヒィィィィ

無人の若狭彦神社にお手洗いなく

社務所のある若狭姫神社にも 

「地面に穴掘っただけ」のものしかないらしく 限界寸前で みつけたのが

真言宗高野山 萬徳寺さん


紅葉の名所!なんて言ってる場合やなくて

おっきいの投下ドスン ε-(´∀`*)ホッ

まさに 地獄に仏(* 'ᵕ' )☆

(もちろんお手洗いだけやなくて 拝観料納めて 本堂見学してかえりましたとさ。)