一休.com放射線科医であり「がん放置療法」の提唱者としても知られた近藤誠医師が、2022年8月13日に虚血性心不全で亡くなった。享年73。

慶應義塾大学病院の放射線科講師として勤務する傍ら、一般向け著書を多数手掛け、1996年の『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋)、2012年の『医者に殺されない47の心得』(アスコム)はベストセラーとなった。 2012年には「抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、がん治療おける先駆的な意見を、一般人にもわかりやすく発表し、啓蒙(けいもう)を続けてきた功績」として菊池寛賞を受賞している。 とりわけ一部の患者や文化人からは熱狂的に支持され、東京大学元教授でフェミニストの上野千鶴子氏は、近藤医師死去の報を受け、「ガンになったら絶対にセカンドオピニオン外来に行こうと思っていたのに、行くところがなくなった」とTwitterで嘆いた。 一方、「がん放置療法」については、「適切な時期に治療を受ければ助かったはずの患者が命を失った」として数多くのがん専門医から非難されている。

近藤医師を直接知る人々はみな口をそろえて「昔は優秀だった」と言う。慶應義塾中等部、慶應義塾高校、同大学医学部を経て最短コースで慶應病院放射線科に就職し、米国医師免許も取得している。米国留学を経て卒業後10年で講師に昇進しており、同病院のような歴史ある名門医大としてはスピード出世であり、「いずれは教授」の呼び声も高かったようだ。 私生活においては、医大同期の女性医師と結婚しており、「男尊女卑の感覚が一切なく、完全にイーブン。子育ても半分やって当たり前」という1970年代の男性医師としては稀有な意識の持ち主だったと語る関係者もいる。

名門医大のエリートコースを歩み将来を嘱望されていたはずの近藤医師が、手術や抗がん剤のような標準的な医療から離れ、がん放置療法に転向したきっかけは何なのか。 1980年代、米国留学から帰国した近藤医師は「乳がんの乳房温存療法」の普及に熱心に取り組んだ。当時の乳がん治療は、外科手術によって乳房全体を切除する方法が主流だった。また、当時の外科医局はテレビドラマ「白い巨塔」のような教授が絶対君主として支配する封建的組織であった。「外科」「内科」などの診療科は「メジャー科」と総称されて院内でのヒエラルキーやプライドも高い一方、「麻酔科」「放射線科」のような地味な診療科は「マイナー科」として下に見られがちであり、慶應大のような伝統校では特に顕著だった。パワハラの概念はなく、外科医が手術中に気に入らない研修医を蹴る行為は、「指導」としてまかり通っていた。 そういう時代背景の中、マイナー科である放射線科の若手医師だった近藤医師が、米国での知見を基に、メジャー中のメジャー科である外科医の治療方針に異議を唱えることは、大学病院という封建的な組織の中で激しい反感やバッシングを招いたことは想像に難くない。 1988年、近藤医師は「乳ガンは切らずに治る 治癒率は同じなのに、勝手に乳房を切り取るのは、外科医の犯罪行為ではないか」という内容の記事を月刊『文藝春秋』誌に寄稿した。1990年には『乳ガン治療・あなたの選択』(三省堂)という、標準医療に沿った一般人向け著書を出版しているが、さほど売れなかったようだ。

私の母も10年ほど前にがんを患ったが…
手術は成功し、今は普通の生活を送っている。
早期発見できれば…の話ではあるが…
権威のある医師の発言は希望や絶望に変わる…