そういえば、っという形でふと思い出したことがあります。

 

入社してまだ一年目の右も左も分からないときの事です。

 

 

僕が入社した会社では日報を新人は必ず作らなければならないのですが、これが人によって全く指導の仕方が違うんです。

 

もちろん統一した書式っていうものはありました。(エクセルで作られたものなのですが)

 

しかし統一した書き方というのは全くと言って良いほど無く、新人の頃は社内研修という名目の下で色々な部署や課を回るので、その部署、その課の書き方を一から教わらなければならないのです。

 

ところが、先輩や上司は仕事でいっぱいいっぱいの状況、日報の書き方なんてどうでも良いっと思っている人すらいる事態、だから誰も統一した書き方なんてことを考える余裕もない。

 

こういう状況下で、結局しわ寄せが来るのは書く当人たち、つまり新人たちにきます。決まって誰かが怒られるし、提出しても書き換えさせられるのが当然、ところが書き換えてなんとなく書き方が分かる頃には別の部署へ、という形で、新人だった僕らには大変な作業でした。

 

そういう状況下で極めて印象的だったのが「俺はこう教わったからこう教える」という一つの決まり文句でした。

 

ハッキリ言って、正気かこいつ?とすら思えました。怒鳴ったり、あるいはもっと分かりやすく手を出したり、嘲ることなど先輩から後輩への態度は当たり前の日常でした。

 

「俺はこう教わったからこう教える」っていうやり方で先輩も同じ経験をしていたのでしょう。だけどそれが辛いって言う事も骨身に浸みて分かっているはず。

 

それなのに、繰り返す。そこで僕は正気なのかどうか疑ったわけなのですが。

 

 

会社を離れて(離れざるを得なくて)、数年経ち、やっと、なんでそうだったのかが、おぼろげながらに分かった気がします。

 

僕が高校生の頃に読んだ本に、児童虐待に関するノンフィクション作家のものがありました。トリィ・L・ヘイデンという作家さんなのですが、その中で知ったのが、児童虐待を受けた人は必ず児童虐待する、という仮説です。

 

これは親子関係の問題ですので、先輩と後輩、上司と部下、という関係に簡単にスライドさせて考えるにはちょっと疑問が残ります。

 

でも、最近になって、自分が言われて辛かった言葉を他の人に(僕なのですが)返す友人が居て、一つの確信を得ました。

 

ストレスというのは、少なくとも、与えられたストレスと同じやり方で発散する方法が手っ取り早い、という事です。

 

ハムラビ法典という分かりやすい文化遺産もあります。

 

要するにやられたらやり返すというストレス発散の仕方です。

 

むろん、ハムラビ法典では必ずしも「同じやり方」で罪を罰するわけではないのですが、なんとなく腑に落ちた気がします。

 

自分が辛かった経験を他の人に繰り返すという事、これはもう手っ取り早いストレス発散のやり方なんだなと思います。

 

でもいい加減、そういうやり方でストレス発散するのはやめた方が良いとも思います。負の連鎖でしかない。

 

働くことが出来る様になったら、そういう連鎖を断ち切って行きたいな、と思いました。