今日は朝から体が重く、いつにも増して、無気力です。

 

無‐気力なのに、それが増すという事は、無気力にも度合いがあるという事になります。

 

以前、書いた事ですが、それをそれとして認識する事が出来なくなる事態があります。つまり、カプセルならカプセルとして認識できずに単なる光景と音が響く世界に居る、という意味が無い世界です。

 

ところで、無気力の度合いというのは段階的な構造なのか、未だに分からないのですが、本日の無気力の度合いは、文脈が無い、という事態でした。

 

僕のお友達にTRPGというちょっとしたボードゲームを拡張させたゲームをやっている人が居て、僕のことを案じてそのゲームの界隈(といっても見知っている人もいる程度の集まりなのですが)に誘って下さいました。

 

このゲームを初めて、まだ半年も経ってないのですが、これがなかなか面白い。

非常に自由度の高いゲームで、さながら演劇の舞台を、演出したりされたりしながら進める特異なゲームです。

 

もちろん自由度が高いといってもある程度のシナリオは用意されたり、あるいは大まかな目標などがたてられて進めて行くゲームです。

 

先日、一つの短いセッションのTRPGのゲームを終えて、さあ次はこういう形で進めたいと思います、と友人が色々な設定を提出してくれました。

 

そこで僕はキャラクター作成の設定に準じたキャラクターを作成し、キャラクターのロール(つまり他の参加者への演出)等を組み立てる事になったのです。

 

 

ところが、無気力であった僕は、色々な設定(つまりゲームを進めるうえで演出される舞台設定)を、全く無視したキャラクターを作ってしまったのです。

 

幸いTRPGというゲームは事前に相談してキャラクターの役割分担などを決めたりするので、一旦、その界隈の友人たちに僕が作ったキャラクターのデータをお披露目したわけです。

 

そこで、設定に対して無視したキャラクターを作ったものだから、友人たちはさとす様に色々とアドバイスをして下さいました。

 

単なるうっかりとしたミスかもしれません。

 

それでも、やはりミスはミスです。仕事をするうえでは極力避けるべきことです。

 

そこで僕は、自分の今の無気力状態に、文脈というものが喪失している様な気がしました。つまり演出される舞台に対して、その舞台の繋がりを無視したわけです。

 

不思議な事に、キャラクター作成の設定には忠実であったのですが、演出される舞台に対してはほとんど意味の無いキャラクターを作成していました。

 

仮に、この無気力状態には時間的な繋がりが無い、とした場合、キャラクター作成の設定をも無視するはずです。

 

時間的な継続性はあるものの、そこには欠陥が僕にはあったのです。欠陥は演出される舞台に対する配慮であり、これまで文脈と称してきた意味のつながりです。

 

すなわち、限定的で個人的で、個別的な、一つの状況、と言っても良いでしょう。

 

実は、いままでこうした一つの状況から外れて行動してしまうという事に気が付いていませんでした。しかし、よくよく考えてみると、こういう或る状況に居る、という事が僕の中からすっぽり抜け出てしまっている事はしばしばあります。

 

本屋さんに入って、本来買おうとしていた本とは別の本を買って帰るとか、コンビニに行って頼まれていたものを買わずに帰ってくるとか、状況は様々ですが、本来あったはずの状況から外れて行動してしまうことがあります。

 

単なるうっかりにしては、少し思い出すだけでも多すぎると思います。

 

これが単に、薬の影響なのか、それともうつ病の一つの症例であるのかは僕にはわかりません。

 

しかし、逆に言えば、普通は或る状況に対して外れて行動することはほとんどない、とも言えるでしょう。

 

そして今気が付いたのですが、僕はお風呂に入る準備をしていました。また外れて、ブログを書き綴っているわけです。

 

今度、これがうつ病のせいなのかどうかカウンセリングの先生や薬の治療を担当している先生に相談して、改めてこのことを考えてみようと思います。

 

それでは、湯が冷めぬうちに……