高野山、金剛峯寺所蔵の金剛界、胎蔵界曼荼羅の最初に作られた当時のままの色を再現した両部曼荼羅が完成した。
凸版印刷が現代の最新技術で当時作られたままの曼荼羅を現代に甦らせた。
「想定色平成再生版」というらしい。七月に高野山に奉納されるらしい。
平安時代末期に作られた曼荼羅。
真言密教では欠かす事の出来ない両部曼荼羅。
空海が唐から持って来た。
前から常々思っていた事。国宝クラスの金箔の剥げた古めかしい仏像達、なぜ当時の金ぴかの姿に戻す事が出来ないのだろうか?
妻沼の聖天様は綺麗に当時の状態に修復されて今では国宝に認定された。
東照宮も創建当時の状態に保たれている。姫路城の大修理も終わった。
まして昔は蝋燭の光、自然の光で光り輝いていた筈。
いろんなお寺に行くけれど、すべての仏像が、かつての金色に輝く姿の片鱗も見せる事が無く、たたずんでいる。
金箔を貼り直せば良いのではないのかと。
浅草の浅草寺の瓦も今は軽いチタン製に生まれ変わった。
「まさに天平の甍から平成の甍へと」。移り変わる時代。
現代の両部曼荼羅で素晴らしいのは練馬の観蔵院の中にある美術館の中にある。(本庄市の大正院出身の小峰和子館長)
http://www.k3.dion.ne.jp/~kanzoin/mandala_museum.html
数年前に空手家の友人K君の紹介で何度か訪れた。
金剛界、胎蔵曼荼羅の素晴らしさに言葉を失ってしまった。
初めて目にした両部曼荼羅の世界。素晴らしい彩色。線の美しさ。
そのあとで国宝クラスの色あせた曼荼羅を見た事が有るけれど、全く感激はしなかった。
「なるほど、古いんだ、歴史的価値が有るんだなぁ」ってしか思わなかった。
何故か国宝の下地の漆が出て来ている仏像を見ても、あまり感激はしない。
これが金ぴかだったらなって、いつもそう思ってしまう。
金閣寺の金色が色剥げていたら皆、どう思うのだろうか?
古ければすべて良いと思わないのは自分の勘違いなのだろうか?
三十三間堂の千手観音達が創建当時の金ぴかだったら、鳥肌が立つと思うのだけれど。奈良の大仏も。
なんだかんだ言いながらも明日からは京都、奈良へ仏像に会いに行く。春の満開の桜を楽しみながら。
毎年行っている本庄市の若泉公園の桜。
先ほど妻と行って来た。半袖でも良いような青空の下でまさに満開の桜が迎えてくれた。
ここの公園の桜は千鳥が淵の桜にも匹敵すると昔から思っている。
人は少ないし最高の桜の名所だと。