池田をマネて婦人会館に君臨した八矢弓子の場合

 

 八矢英世の名を有名にしたのは、なんといっても、かの悪名高い新宿集団替え玉事件である。英世は、この事件の中心人物の一人だった。郵便受けに放置されたままの投票入場券を抜き取り、学会組織である総ブロックの拠点に集めた。入場券の本来の持ち主の生年月日、本籍などを住民票の閲覧で確認、投票は投票日当日だと本人とかち合う危険があるため、それぞれ適当な理由をつけて不在者投票で行なったというもの。本来なら、この事件が発覚した際、摘発の手は当然、首謀者の一人、八矢英世に及ぶはずだった。しかし、学会と党の必死のモミ消し工作の結果、摘発は末端幹部にとどまった。池田自身、『社長会全記録』の中で「新宿の選挙違反事件等は、絶対にいけない。八矢は、アブノーマルな点が心配だから、絶対にいけない」と“きれいごと”をいっている。
                      
 弓子は婦人部長の時代が長く続いた。弓子が婦人部長だった頃、信濃町に創価婦人会館ができた。弓子は婦人部長として、この会館の中で女帝の如く振る舞っていた。全国の婦人部幹部に地方の産物を持ってこさせたり、自分の机から物が落ちるとそれを拾わせたり・・・。一部には「ありゃ、大作のマネだ」との話がもちあがった。