九州の女帝として振る舞う田中伸子の場合

 

 ご多分にもれず、田中伸子もまた、池田大作のお手つき女の一人であった。伸子は本当は信子だったが、池田の『人間革命』の主人公、山本伸一の伸をとって伸子と改名したほどの池田教信者。池田の威を借りて、九州では女帝の如く振る舞っている。


 夫の昭二が代議士になれたのは、渡部一郎と同じく、お手付き女と知って信子と結婚した論功行賞による。可もなく不可もなしの政治家生活。本人は当然、七期、八期と定年まで代議士を続けられるものと考えていた。
                      
 ところが、五十八年の総選挙の直前に、何の相談もなしに候補者を引きずり降ろされた。


 代わって福岡一区に舞い降りてきたのが、神崎武法。検事総長になるのを目指して、“隠れ学会員検事”の秘められたコースをひた走ってきた男だ。同じ法曹仲間の山崎正友弁護士から「現職検事の電話盗聴事件関与」を暴露されて、検事辞職に追い込まれた。


 「よろしい。それでは検事総長を指揮監督する法務大臣になれるよう、キミを国会議員にしてあげる。十万以上の学会票があり、当選が確実視される福岡一区から出たまえ」


 池田の“鶴の一声”で田中昭二が候補を降ろされ、神崎武法が新人候補に指名された。新人ながら、神崎は十四万余票を得て堂々のトップ当選。(中略)


 田中を降ろすにあたって、池田は田中伸子を九州総合婦人部長に昇格させた。九州婦人部の最高責任者に登用することで、夫婦の間でバランスをとったわけだ。昭ニは愚痴の一つもいわず、女房の尻に敷かれた。(中略)


 田中伸子は「九州の女帝」として振る舞い、男性幹部といえども伸子の機嫌取りに汗を流す。男を尻に敷くのが、よほど好きで性に合っているらしい。

『スキャンダル・ウォッチング』96頁