結婚後も身を差し出した浅野香世子の場合

 

 結婚の時には池田に祝福され、結婚後には「子供をつくるな」と妙な注文をつけられた学会幹部夫婦がこの人たち。(中略)


 香世子の入信は比絞的新しく昭和三十九年。四十五年にはもう女子部長になっているのだから、これは例によって何かあるハズと勘ぐられた。やはり、この女性も池田の寵愛を受けていたのである。結婚当時、一雄は一日も早く子供を欲しがった。夫婦にとって、ごく自然な願いである。が、そんな一雄を池田は叱りつけた。「子供をつくるなんて、甘いことだ。女房をもっと本部に近ずけなければダメだ。自分の女房と思ったら間違いだ。本部に差し上げる気持ちでなければいかん。」(中略)

 

 結婚は池田の意向一つで左右され、しかも「女房を差し出せ」といい出す始末だ。
 一雄かどういう気持ちで自分の女房を差し出したかはさておき、浅野夫婦は池田とともに訪中したこともある。だが、夫の方はどことなく影が薄く、最近ようやく、「125人中の1人」の副会長になった。