池田の子を中絶した笠貫由美手の場合


 旧姓を佐野という。佐野女子部長といった方が、学会内ではわかりやすい。現在は結婚し、姓が変わった。学会活動の方は相変わらずで、世田谷区の総含婦人部長をしている。

 凡人の佐野が女子部長になれたのは、本人に力量があったからではなく、池田の寵愛を受けた女だったからにすぎない。池田はよく、「由美子はバカだ、バカだ」と周囲に喋った。

 

 笠貫は、女子部時代、第一庶務室に長く務めていた。いつも池田のそばにいて、池田がいる部屋の隣で、手を前に付き、半かがみになって待機する。池田が「オイ!」と呼んだり、手を叩くだけで、直ちに池田の許に飛んでいく。その素早さが、池田に評価され、バカといわれても女子部長になれた所以である。

 笠貫は、池田が目を真っ赤にしながら「目がいたい、目がいたい」というと、傍らに坐って本を読み聞かせたりした。読むのをつっかえると、ここでもまた「バカ」とどやされた。それでも、池田先生の側にいることをこよなく好んだ笠貫は、自分を罵る池田の態度などいっこうに気にしなかった。

 笠貫の女子部での活動歴は浅い。それが、たちまちにして全国女子部長になった。抜擢の背景には、池田に対する笠貫の思い入れがあるのはもちろんだが、池田から見れば、笠貫の「尽くしに尽くすタイプ」を側に置いておきたかったのである。

 

 やがて、笠貫は池田の子を身寵った。その子の中絶を手配したのが、横浜日赤で外科部長をしている、学会ドクター部幹部の森田修平だった。このことについては、藤原行正が、「何代か前の女子部長」という匿名の表現で、中絶の件を暴露した。

 

 池田は、それに対して過剰反応を示した。池田夫人・香峯子をして、笠貫の妊娠を否定するアリバイ作りに加担させたのである。
 

 池田夫人から婦人部の最高幹部が直接指導を受ける記事が、『聖教新聞』紙上に掲載された。このようなことは、普通では、まずありえない珍事である。今年2月11日の『聖教新聞』7面には、次のようぬな笠貫の記事が載った。

 

 「優しい妻に 強い母に 力ある婦人に-------これは婦人部進出にあたり、先生の奥様からいただいた指針です。」

 

 池田は、女性スキャンダルのカムフラージュに夫人まで使って恥じるところがない。
『スキャンダル・ウォッチング』90頁