なぜ障害と付けるのか疑問だけど

誰にだって 出来ることと出来ないことがあるはず それは平等

 

例えば

分厚い本を数日で楽しく読む人

1ケ月かけてのんびり読む人

あらすじだけ読んで読んだ気になる人

開いたとたんに頭が痛くなってすぐ閉じる人

 

どれも 駄目じゃない 

頭が痛くなることを選ばなくていいし

1ケ月かけて楽しみたいのに 素早く読む必要もない

大体が分かれば、後は空想で楽しめるならそれもいい

数日で読んで また読みたいならそれもいい

 

それなのに 親や周りは

集中しろ

短時間で読め

だらだらするな

いい加減に読むな

頭が痛いせいにするな

などと言う

 

でもその言葉たちがダメなわけでもない

なぜなら

そうか自分はこういうことが 苦手なんだ

嫌いなんだ 心地悪いんだ つらいんだ

と気づかせてくれたりもするから

 

出来ることをやればいい

出来ることをやるには、どうすればいいかを考えればいいのに

出来ないことをやるにはどうすればいいかに目を向けがち

 

自分の

出来ないこと 苦手なこと 嫌いなこと 不快なこと

をよく知って どうすればいいかを考えてみる

 

もしかすると

自分の苦手を相手や親に伝えるだけで 

自分が少しだけ楽になるかもしれない

 

もし自分の子がそういう診断をされた場合

よく観察してみる 出来ることさがしをしてみる

自分を責める必要はないし 子供の出来ないこと探しをする必要もない

 

上手に生きる必要なんてないんだなぁー

自分を生きればいいんだなぁー

 

例外として

嫌いとか不快に関しては

トラウマが原因の場合もあるから

トラウマが取れたら解決する