そよ風にふれて。 | 野の花

野の花

ふと立ち止まった方を、和ませるような、そんな野の花になれたら、と願っております。


元旦が過ぎ、仕事や学校がはじまり、いくらか日常のリズムになれはじめたころでございましょうか。
インフルエンザが流行るなか、気分の良くないときもあるかと存じますけれど、そんな日々のなかでも、ささやかな喜びはあり、みつけられる繊細な感性はもちあわせていたいものでございます。


わたくしが不意に名前をかえ、その内容をかえたことに、戸惑った方もいらっしゃったことでございましょうね。
なんの前触れも告げずに、でございましたし。
大変失礼いたしました。
すこしその説明をさせていただこうと存じます。

以前すこし触れましたように、もう解説は辞めるころだと、息苦しさのなかでかんじてはおりました。
息苦しさ、そう無理をしているという自覚がございました。
自分を駆り立て、峻烈を演じ、厳しく誤りを指摘し、米教へと導く。
それが以前は苦しくとも続けてまいることができましたけれど、湧き出す熱が冷めたというのでございましょうか。
もう、いいのでは、と息切れのなかでおもうようになっておりました。
そんなおり、上野公園さんがある霊能者の訪問をうけ、米教を説くお役目は終わったと告げられたと知りました。そして、上野公園さん自身が、米教を説く段階は終わったとおっしゃいました。それをうけ、決心した次第でございました。
わたくしが撤退したそのことについて、ここぞとばかりに公の場で悪口雑言を吐き散らしている方が何人かいらっしゃいましたけれど、ありがたいことでございます。そこから、わたくしはまた新たに学びを得ることがかないましたゆえ。
ほんに、有り難い、かたじけないことでございます。


解説を辞めるともうしますのは、別の観点からもうしますと、他に干渉しないということでございます。
例えば、ここぞとばかりに公の場で悪口雑言を吐き散らした方々にもなんの反論をせず、その誤りを指摘しないということでございまして、実際に一切いたしませんでした。
これからもすることは、ありませんでしょうね。
もしかしますと、それはエゴイストかもしれません。
でございますけれど、内から湧いてくるものが、他ではなく自だともうすのでございます。
他はこうだ、で、お前(自)はどうなのか?と問いかけてくるのでございます。
とにかく、自らをみつめ、自らを精査してゆく段階に、わたくしははいったようでございます。

とはもうせ、他に働きかけないともうしましても、こうして発表していることで、すでに働きかけにはなっておりますけれど、以前のようには致しません。
そうはおもわれませんでしたでしょうが、厳しく指摘したり糾弾することは、実は親切心でございました。
どうでも良ければ、もうしません。
もう、それは致しません。
わたくしの内省など記すもので、学ぶところ得られるものがあれば、幸いというだけのことでございます。
ご自分のことは、ご自分でするより他ありませんものね。
だれが代わってあげることもできません。


心静かに、まわりのことごとを眺めておりますと、さまざまなことを教えていただくことがかないます。
なにげない人のことばが、人の行動が。
虫のたたずまい、小鳥のさえずり、風のながれが、教えてくださいます。

わたくしはただ、眼をこらし、耳を澄まし、外と内。内なる自分自身の心を観察し、考えてゆくだけのことでございます。

厳しい寒さのなかにも、やわらかなあたたかな風がふくことがございます。
そのそよ風に気づける自分でありたい。