前回のものの繰り返しになりますが。
神や霊について。遠く離れた出来事だとか、何か特別なことだから特別な成り行きがあるとか、そういう漠然としたおもいがあるようですが、ちがうと言うことですね。
馴れ馴れしく扱うスピリチュアルの弊害もありますでしょう。馴れ馴れしく扱うわりには、特別なことと言うのを強調するきらいがあるようですから。
漠然としたおもい、と先に記しましたが、まさにおもいでしかないんですね。
スピリチュアルが喧伝推奨する「直感」にすぎない。
おもうだとか直感だけではなく、考えることが大切だということです。
当たり前のことですよね。感じるままに生きていて日常が成り立つでしょうか。
成り立つわけがないわけです。
それだけの余裕のある立場にいるとか、放棄している立場でなければ。
それは霊も同じわけですね。
人は霊止と申します。
霊を肉体に止めおいた存在だからですね。
人は霊的な存在である。
そして森羅万象悉くは創造神がなされたものである。
してみれば日常が霊的なものであるといえますよね。
それがなぜ、物質がともなわなくなると漠然とおもうだけになるのか。
それはおかしいですよね、というだけの簡単なはなしです。
しっかりと考える、良心を働かせることが大切なわけです。
あなたと話をしている人がいるとします。
あなたは何かを説明しています。
そのときに、相手があなたが年下だから聴く耳をもたないという状態になったとき、あなたは相手をどうおもいますか?
おもうおもわないはともかく、果たして立派な人間といえるでしょうか?
年齢のみならず、学歴だとか社会的地位や容姿、押し出しで判断し、聴く耳をもたないという人間は、打算的。小賢しい、内面の貧しい人間です。
内面が貧しいから、相手の内面をみることができないのでしょうね。
それは神と呼ばれる霊の存在も同じわけです。
貧しい内面の神々が国常立尊様を退け、この世界を、人間を腐らせたわけですから。
仮に名だたる神社仏閣のご祭神に間違いなくとも、良心がなければ邪神だと上野公園さんはおっしゃいますが、まさにそのことなんです。
全てのことに、良心を働かせてゆかなければならない。