はじめまして。
野の花です。
野に咲く、名も知らぬ、咲くも散るもだれにも気づかれないような存在です。
ふと立ち止まった方を、和ませるような、そんな野の花になれたら、と願っております。
落ち込む、というまでもゆきませんが、いささか悲しい気持ちになっておりました。
あまりにも、米教を理解できている人が少なく。
本格的に米教紹介をはじめるにあたり、上野公園さんにご挨拶したおり、このようなお言葉をいただきました。
「百人に説いて、聴く者が一人二人いれば良いと覚悟して挑みなさい。」
聴く耳をもってわたくしの解説に当たってくださった方は、はたして百人中一人いたかどうか。……
ただ、確実に推察できることは、ほとんど人の理解には役立たなかったということです。
鵜呑みにするか、曲解する人ばかりでした。
また、わたくしの罪であると自覚しておりますが、わたくしが解説をはじめたことで、米教紹介や解説がぐんと増えました。それはそれで喜ばしいことですが、その中身といえば惨憺たるものばかりでした。わたくしの目からみましても。
わたくしが、わたくしなりに噛み砕き噛み砕き、飲み込みやすくやさしく読めるようにしたため、つまり一見ハードルが下がったようにみえたためでしょうか、それまで恐れてなりを潜めていたような蛆虫のような有象無象が、ここぞとばかりに蠅のように湧き出し、こぞって飛びついてきたかんじでした。
米教の品位を汚すことを引き起こしてしまったようにおもいます。理解を助けるどころか、理解を阻む結果をもたらした部分もあるようにおもいます。
米教理解を阻む、蛆虫を発生させてしまいました。
米教の真意を無視(虫)し、阻む存在ですね。
その中身というのが、霊感頼みのスピとかわりのないものであったり、頭でしか考えず、わかったつもりの自慢話。
いくら心が大切だ!といっても、心が大切だ!といっていれば、心の大切さについて解説できていることにはなりません。
頭が良いから、それらしい理屈はこねられますが、理屈は理屈でしかありません。
頭の限界で、それが米教の説明には全くなっていないことすら、自覚できていないわけです。
自覚できるだけの謙虚さもありません。
そうする方々の理解度は、言動にしっかり表れていますね。
勘違いをしてヒステリーを起こし、一方的に非難を浴びせ、関係を絶ってゆき、わけのわからない詭弁を吐き、謝罪ひとつなくもどり、その後もわけのわからない発言をし、その意味を説明もしない方。わたしはすごい、わたしは米教の理解者よと誇り、驕りたかぶり、それを指摘しても、全く反省することなく、他人を指導しています。
誇り、という埃が積もり積もって、すっかり魂が曇ってしまい、恥(心に耳)がなくなっているのでしょう。いくら祝詞や言霊をあげて、魂磨きしてるつもりになっても、それでは魂磨きには全くなっていないわけです。
当たり前ですよね。
歪んだり、強い汚れがついて、簡単に歪みが直ったり汚れが消えるわけがありませんから。祝詞や言霊では無理です。
あれはあくまで補助。そんなことすら解らず、得々としている悲しさ。
また、そういう人に執着して、感覚的な発言ばかりする方。
人の進む道が別れてきただの、霊がどうだの。それはいいとして、あなたは、どの道を進んでいると認識されているのですか?
そういう発言をするということは、わたしは良い道よと自負されているのでしょうね。
傲慢ですね。
道は未知です。われわれ人には未知であり、われわれが決定するわけではないのに、あたかも自分が選ばれたかのような、選んでいるかのような、誤った認識を、恥ずかしげもなく露呈されています。
未知を道たらしめるのは、日本語という言葉のみです。
日本という国に常に立つ御言(国常立尊様)。
国常立尊様を無視し、その御心を踏みにじる、暴挙だということに全く気づかない愚かさ。
その方も、その方が執着する得意気な方も、明らかに欠けています。
“いと小さき者と知れ”
という、米教の原則中の原則を。
よくそれで米教を語れますよね。
また、身内の自慢話ばかりする方もいます。身内は善人で頭の良い人ばかりだから、後は良心神を信じれば完璧よ、などと。
あのですね、米教では奇魂の大切さを説きますが、奇魂とは頭で考えることではありませんよ。
胸で考えることです。それくらい解っているべきです。
しかも、善人だから良いではなく、良心神に照らし合わせて良いか悪いかなんですよ。
何年も学び続けて、それくらいも理解できていないような方が、なぜ、後は良心神さえわかれば完璧だなど判断できるのか、全く意味がわかりませんね。
鵜呑みにし続け、奇跡ばかりに夢中になっているからそうなるんです。
米教に奇跡やご利益を求める、その時点で間違っています。
これはつい先日にあったことです。
何年も米教を学ぶ、米教においても人生においても先輩の方から、わたくしが記したことの意味を問われました。
ご自分でお考えくださいとわたくしは応えました。
ご自分で考えなければいけません。仮にそれで解らないなら解らないで、考えることに意味がありますから。
そも、簡単なことです。お分かりなはずですし、解らなければ恥ずかしいことですよ。
そのように、いくら問われても頑として答えはもうしませんでした。
その方は不承不承、考えてみますと引き下がりました。
が、解らなかったのか、多分ろくに考えようとされなかったのでしょう。
すぐに、「自分の経験したことしか解らないものだ。お前に出産や育児が解らないようにな。」と逆上して喰ってかかってらした。あまりに的外れですので、わたくしはなんの反応もいたしませんでした。
その価値もないともうしますか。
少なくとも、そのおっしゃる内容も間違いですね。
人には想像力があります。体験したことのないことを想像し、おもいやることができるのがあるべき人というものですよね。
その心を養うのが米教の本願であり、奇魂を働かせるとはそういう意味です。理屈がわかる、理屈がこねられるが奇魂の働きではありません。
その方には想像力も、それが生み出すおもいやりにも欠けているということなのでしょう。奇魂を働かせようといいながら、奇魂が全く働いてはいず、結局全く理解できていない証です。鵜呑みにして、奇跡だの霊だのと感覚的なことしかいっていないからそうなるのも無理はありません。
ちなみに、その方が逆上した質問とその答えをここで記します。
わたくしは、「身返るが必要です。」ともうしました。
その方は身返るの意味がわからないとヒステリーを起こしたわけです。
身返るとは、蛇帰るか?などといったり。
お話になりませんよね。
米教を何にも学べていない証拠です。
だれがなぜ蛇が帰ることなど勧めるというのでしょうか?
身返るとは、自分自身を省みること。
自分で自分を反省することです。
そんなことすら解らない、恥知らずな状態になっていれば、ヒステリーを起こすのは当然かもしれませんね。
反省もなかったのでしょう、その後謝罪ひとつなく、相変わらず奇跡だ霊だと語り、それでいながら、自分で気づくことが大切だなどわかったような発言をされています。
その方自身、ご自分で気づいてゆくほかなく、指摘しようかとおもいましたが、止めました。
反省できないようであれば、気づきようもなく、また逆上されるだけでしょうから。
その方の問題はともかく、同じ内容を以前も言われたことがあります。
そのときは、胸を斬り裂かれたような痛みで、おもわず声を上げて泣いてしまったものでした。
この度は、何をおっしゃっているのかと訝り、呆れ、すこし不快なだけでした。
が、数年前同じ内容を言われたときのことを思い出したわけでした。
あのとき痛み、泣いたのは、どうもわたくしの今生の意識ではなかったようにおもわれます。
過去世のものだったのか、副守護神のものだったのか、わたくしに憑いた未浄化霊のものだったのか、それは定かではありませんが。
少なくとも、わたくしの今生の意識ではなかったようです。
女性のようでした。
女性でも、肉体的に懐妊できない方、肉体的に懐妊しても出産できない方、作ってはいけない職業、産んではいけない職業、もしくは、決して成してはならない身分の方がいらっしゃいました。今もいらっしゃることでしょう。
また、セクシュアリティの障害で作れない方もいらっしゃる。
それで苦しむ方々がたくさんいらっしゃるわけです。
その方の痛み、苦しみであったようにおもいます。
ともに痛みをかんじ、涙し、その方が慰められていたら、うれしいです。
多分、浄化されたようにおもいます。霊であれば、上がっていかれたのではないでしょうか。
今回は、さして痛痒をかんじませんでしたし。
米教を解説させていただきながら、全く人の理解には役立てなかったようです、お力になれず申し訳ありません。
そう上野公園さんに謝罪いたしますと、こうおっしゃいました。
「人とはなまじ肉体をもっているだけ、改心させるのは難しいものだ。
が、ものすごい数の霊が米教に集まってきていて、上がっている。」と。
はたして、わたくしがそのお役にどれだけ立てているのかわかりません。
わたくし自身、どれだけ米教を理解できているのか心もとありません。
ですからこれからも米教理解に精進しますし、米教解説を、わたくしなりにではありますが、続けられるだけ続ける所存でおります。
少なくとも、わたくしに関わりのある霊や神々の理解には役立つと信じて。
悲しくなっていたとき、部屋に蜘蛛を発見しました。
まだ幼いような小さなかわいらしい蜘蛛。
慰められました。
蜘蛛が現れたということから、わたくしは、わたくしへの慰めと励まし、いただいたのだと解しました。
神から。
伝えつづけること。
これがわたくしの天帝への忠誠の証です。
神の御心のままに、神の御心のなされるままに、なりますように。

