ちょっと重い話です。


私の母は今年で61歳になります。


まだ、60代なのに寝たきりです。


55の時に脳溢血になり、左半身不随の障害が残り


食べること意外、自分では何も出来ません。


おしゃべりもうまく舌が回らないので、言語能力も低いです。



母親が元気だった時を思い出すと、



すごく我の強い女


しか思い出せません。


自分で言うのもなんですが、私は気難しい子だったと思います。


小学校のお弁当なんて、嫌で嫌で仕方なかった。


なんせお母さんの作ったお弁当は


うな丼、カツどん  ドーンとのせて終わり。見栄えが良いお弁当に憧れた。


卵焼き(ぐちゃぐちゃ出し巻きは面倒らしい)

石井のミートボール


この3パターンしかなかった。


早くも小学校低学年でそのお弁当に嫌気がさし


自分で作ったお弁当を学校に持っていく日々が始まった。


といっても如何せん小学生なので

見栄えの良い冷凍食品に頼ってましたが・・・


それ以来一度もお弁当を作ってもらった記憶はないし、もう作れないのだけど・・・


あと、嫌だったのがスーパーでの買い物。


車の運転が出来なかった母。


スーパーまで徒歩10分掛かるため、子供はよく駆り出された。荷物運びである。


とにかくそのスーパーでお会計が嫌で嫌でたまらなかった。


絶対店員に文句を言うのだから・・・


別にサービスが悪い店員とかではなく、愛想がない位なのに


ギャンギャン

ほえまくり。


我が母ながら、本当顔から火が出る思いをした。


我が強い女なので、小学校、中学校とPT役員は一生懸命やってくれた。


そこでもやっぱり恥ずかしかった。


我が強いからなのか、大阪のおばちゃん並の


豹がドーン


スパンコールドーン


すごく派手だった。


男子から「お前の母ちゃん来てるぞ~」なんて


冷やかしもされた。


母に恥ずかしいから、そういう派手な服で来ないでなんて意見したら


逆切れで怒られる。


裸足で家を逃げたこともあるし、鬼の形相で追っかけられた事もある。


自分のものには金に糸目をつけないけど


子のものにはあまりお金を掛けてくれなかった。


小学校のピアニカ、お裁縫箱、習字道具、体操着、しまいには笛まですべてお下がり。

(その年ごとの色が一人だけ違い、恥ずかしかった)


中学校も一緒、全てお下がり。


決して兄や姉が居たわけではなく、近所中からかき集めた品。


嫌で嫌で溜まらなかった。



そんな母から脱出すべく


高校卒業後、東京へと就職したのである。


パート2へ続く・・・