どちらも息詰まる様な緊張の場面があって見終わった後は寡黙になります。バレエの優美さだけではなく、それを得るためにダンサーが負う肉体や人生への過激な負担等、代償の大きさも改めて理解しました。
『ホワイト・クロウ』では、国はもとより家族も棄てる亡命というものが本当に大変なことなのだ、と改めて思いました。この様な思いをしてまでバレエに人生をかけ、この後、パリオペラ座のトップにまで上り詰めた男の前半生記の映画は、既に彼よりも長い人生を何となく生きてしまった自分には、ガツンと見応えを感じました。
ヌレエフが、最後はあの業病で命を落とすということを知っているが故に、なんとも切なくも感じながら観終えました。
失礼ながら東京バレエ団に振付けで来た人、というレベルの理解しかなかったピエール・ラコッタ氏が、ヌレエフの亡命の立会人的な人であることも、今回知りました。
国の政治に制約されながらもダンサーとして自由の道を貫いた男性ダンサーの映画、という共通点を感じて、『小さな村の小さなダンサー』を連想しました。
ヌレエフが、最後はあの業病で命を落とすということを知っているが故に、なんとも切なくも感じながら観終えました。
失礼ながら東京バレエ団に振付けで来た人、というレベルの理解しかなかったピエール・ラコッタ氏が、ヌレエフの亡命の立会人的な人であることも、今回知りました。
国の政治に制約されながらもダンサーとして自由の道を貫いた男性ダンサーの映画、という共通点を感じて、『小さな村の小さなダンサー』を連想しました。
バレエには中国の纏足の様な、観る人本意の傲慢で、かつグロテスクなルールがあると思います。それを合理的な西洋人が何百年も継承してきたことが不思議に感じました。その魅力に憑かれるダンサーも然り。
どちらの映画も俳優でなくダンサーが主役を演じてますが大熱演。ダンスシーンはもとより、捨て身の演技にも感動します。
『ホワイト・クロウ』では、久しぶりにきれいなポルーニンを観れたのも、うれしいです。ロイヤルであのまま活躍し続けて欲しかった、と思うことしきりでした。
『ホワイト・クロウ』は誘われたらもう一度観たい映画であること、間違いなし。では、『Girl』はどうしようか・・・まだ理解が及んでいないところがあるから、観るべきかな。観たいけれども観るのが恐い、難しさや痛みを感じた映画でした。ベルギーの映画はこれが自分には初見かな・・
その後に、テレビで今年のローザンヌの再放送を観ていて、主人公のララと同世代の子達が、それも結構にベルギー出身の子が出ていて、また色々思いました。あの映画、バレエの関係者や愛好家向きを装いながら、そうでは無いかも知れない、そんなことも思いました。
『Girl』を観た!というとベルギービールをご馳走してくれるビアレストランがあるとのことで、そちらにも行ってまいりました。写真は映画にちなんだビール「Inocent」。カシス味の酸味のあるビールで、気に入りました。映画同様に苦味もありますが。
(>_<)