聖書の言葉です。 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2015322日(日)


おはようございます。

今日は何の日カレンダーから

第1回全日本女子プロボウリング選手権。優勝者は中山律子(1970)


これは懐かしい!!!!。

1970年(昭和45年) 空前のボーリングブームの中、第一回の女子プロの全日本選手権が行われ、初代女王に、中山律子さんが輝きました。

覚えておられる方は、まあまあの昔、若かった方です・・・(笑い)


1970年と言えば大阪万博が開催された年。

日本になんか元気がありました。

長時間列に並ぶことも苦にならない・・・・。それでも何かをやりたいと言うような雰囲気がありました。

ボーリングも1時間待ちなら、まだ早い方・・・・。

ボーリング場で長い間待っても、ボーリング場はいつも超満員でした。


この年は、私は、まだ、高専の寮生活の時代・・・・。

お金もなかったはずなのに、よくボーリングに行ったことを覚えています。


その当時人気があったのは、女子プロでは、中山律子さん。(美貌が売り物の美人ボウラー) 実力ではずば抜けていた須田開代子さん。これまた実力派の並木恵美子さん。

この三人の戦いは世間を騒がしました。

この三人は女子プロボーリングの、隆盛を引っ張って行った方々でした。

女子プロの第一期生になるそうです。


ある人の評価では、

一番強かったのは、並木恵美子

一番うまかったのは、須田開代子

一番華があったのが、中山律子


と言われていました。なかなかいい得て妙です。


中山律子さんは、CMにも出て「律子さん。律子さん。中山律子さん♪」と言うフレーズは日本中を駆け巡りました。


中山律子さんの人気は高かったですが、いつもその上には須田開代子さんがいて、アマチュア時代は、優勝:須田。二位中山というパターンが多かったようです。

人気はあってもなかなか優勝は難しいと言う中で、

記念すべき第一回の女子プロの大会で優勝したのですから、ここから中山律子さんは人気に実力を兼ね備えた、女子プロ界のスーパースターになりました。


ちなみに第二回、第三回は、最強と言われた並木恵美子さんが優勝しています。


どちらにしろ、あの頃のボーリング人気はすさまじかったですね。

思い出した方も、おられるでしょうか・・・・・。


今でも、若者に、オッチャンが大きな顔をして、語り、戦えるのは、ボーリングぐらいですから・・・・。あの当時のボーリングのブームはすごかったと思います。


ちょっと、久しぶりに昔を思い出してボーリングにでもいかがですか・・・・・。

きっと、昔のイメージとは違う自分の衰えを痛感するかもしれません。

でも意外と、やれる自分に出会うかも・・・・・。


今日は久しぶりにそんな事を思い出しました。

こんな私でも、入社した時、社内ボーリング大会で(100人以上はいたと思いますが)まぐれで準優勝しました。(アベレージ191)

過去の、今では誰も信じてもらえない小さな自慢です(笑い)


今週も皆様の上に神様の豊かな恵みと祝福がありますようにお祈りしています。

もうすぐ春です。

新しい出発をされる方々にも、とりわけ神様の豊かな恵みがありますように


今週の暗唱聖句をお送りいたします。



2015322

今週の暗唱聖句と解説


鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。

                  旧約聖書 箴言2717


 今日は何の日で、322日は第一回全日本女子プロボール選手権の優勝者が中山律子さんだと言う話を書きました。

 彼女は、ずっと長い間実力者で同期生の須田開代子さんに勝てませんでした。しかし、その中で自分の弱さを認めながらも、「負けてたまるか!」と言う熱い思いで、ライバルとの良い意味での競争の中で、優勝を果たすことが出来ました。

 どんな世界でも名選手の横には、終生のライバルとも人がいる者です。誰もライバルもなし、自分一人がお山の大将みたいになった人はかわいそうです。いつの間にか傲慢になって、ピカピカに切れていた自分の心も体もさび付いてしまう事が多いのは良く見る事です。

 鉄を鉄でとぐ!それはどちらも我が身を削りながらの事だと思います。

人間も、人と人とが互いに我が身を削りながら、お互いが高められていく。

四文字熟語で切磋琢磨と言う言葉がありますが同じ意味と思います。

これは人間の真理でもあります。

 人は一人で育ったり、成長するのではなく、人と人とがぶつかり合い、励まし合い、競争しあい、そんな中で成長するのです。

 聖書は人はその友によってとがれるとはっきりと書かれています。

友とはそのような人の事です。

 自分の弱さを慰め、傷をなめてくれるだけの人ではありません。

私たちをその付き合いの中で研ぎ!整えてくれる人なのです。

人は研がれる事が本能的にいやかもしれません。厳しい事は嫌です。甘い言葉だけが嬉しいものです。

しかし、自分の間違いを指摘し、自分の行くべき道へと押出してくれる友を、私達は大切にしたいものです。

 友によって、人は研がれるか、なまくらなままで生きるか・・・。そこが決まりそうです。

そして、私たちにとって最高の友はイエス・キリストではないでしょうか。

毎週教会に集い、イエス様の言葉を聞く時、自分の罪も指摘され、悲しい思いになる事もあります。自分の弱さや足りなさ、傲慢さを気づかされます。

 それは私達がとがれる瞬間でしょう。そして最高の友であるイエス様は、私たちをただ糾弾するだけでなく、私たちに新しい生きる命をいつも与えて下さるのです。