1月27日 暗唱聖句 | 牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

牧師剣士     (堺育麦キリスト教会牧師)

48歳から28年ぶりに剣道再開。
すっかりはまってしまいました。
57歳で五段をいただきました。長年クリスチャン剣士でしたが、2010年11月に牧師になりました。これからも神と人に仕える者となっていきたいと願っています。剣道修業も続けていきます。

2013127日 暗唱聖句解説

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」     ルカの福音書962

イエス様がご自分の死を覚悟してエルサレムに向かおうとした時の言葉です。イエス様の目はご自分の使命に従うべき、十字架への道にまっすぐに向けられていたのです。その時、三人の人が「私もあなたについていきます」と言った中の最後の人に語られた言葉です。

彼は、イエス様にこう言いました。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

彼はイエス様に従いたいという心はありましたが、その前に家族に別れの挨拶をする事を願ったのです。これは人間的に愛のある正しい事だと思います。人として当たり前の願いだと思います。イエス様についていく事は、これから先どうなるかもわからない状況だったからです。しかし、イエス様は彼に「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」 と言われたのです。これは私についてくると言うならば、肉親の情よりも私についてくることを優先するべきですという言葉です。これは狂信的な信仰の勧めというよりも、イエス様についていくという事は永遠のいのちに関する人間にとって最も大切な事であり、その事を第一にすべきですという事です。家族への愛情という事よりももっと根源的に大切な事であるという事です。人間にとっての根源的な救いを求める中で、時によって家族への情を優先する事は、今、大切な事を見逃してしまうことになりますよという事なのです。

鋤というのは、当時の畑のうねを作る時に、牛や馬に鋤をつけて引っ張らせて作業する時に使う物です。いざ鋤に手をつけると、まっすぐに前を向いて進んで行かなければ、途中で後ろを振り向くならば、うねが曲がってしまいますよと言うたとえです。

学校で運動場に石灰の入ったライン曳で線を引いた時の事を思います。直線を引く時は、まっすぐにゴールに目を向けて一心に進んで行かなければ、途中で後ろを向いたりしたら、直線は引けません。ここではまっすぐな線を作る事が根源的な目標です。その時後ろを振り向く事はだめな事です。イエス様は肉親への情を否定しているわけではありませんが、今イエス様についていくと決めた心を全うするには、何があっても前を向いて、イエス様にしっかり目を向けて歩む事が神の国にふさわしいのですと言われるのです。

  堺育麦キリスト教会 牧師 豊島 守