星野慎太郎さんが逮捕されてもうすぐ一年になる。

 

私はこの報道があった時から冤罪だと思っていた。

報道のされ方が、最初からあまりに一方的だった。

 

冤罪だと思った理由の一つは、

星野さんが「シルバーバーチの霊訓」を愛読書としていることを

プロフィールに公言しているからである。

 

シルバーバーチの霊訓は、ざっくり言えば、

 

「良い事をすれば良い行いとしてカルマになり、

悪い行いをすれば悪い行いとしてカルマになる。

それは、死後も逃れることはできない。

カルマとは単純に摂理であり法則である。

そして進化成長、気付きを得る為のチャンスでもある」

 

というものである。

私ももちろん、シルバーバーチを読んだ。

その内容に感銘を受けた一人である。

 

星野さんは逮捕されてから8か月の間、勾留されたままだった。

その間、家族との面会も禁止されていた。

 

拘置所では無実を訴えていたけれど認められなかった。

いわゆる「人質司法」であり、

やってないことを「やりました」というまで保釈されない検察側のやり方である。

 

冤罪であるにも関わらず、勾留が肉体的にも精神的にも辛くて、

無実の罪を「自白」させられた人も多いと思う。

 

なぜこのような中世のような非近代的なシステムがまかり通っているかというと、

日本の司法制度が、完全に「調書」に頼っているからである。

 

私も機会があって調書作成の現場に立ちあったことがあるが、

本人が言っていないこと、事実でない事がみるみるうちに調書に書かれていき、

戦慄したことがあった。

 

検察の作ったある意味「作文」だと思った。

 

検察はこの調書をもとに、検察の思い描くストーリーの通りに

容疑者から「偽の」自白を引き出し、裁判を進めて行く。

 

同時にメディアを使って世論を形成して、有罪か無罪か確定していない容疑者を八方ふさがりの状態に追い込む。

 

そしてSNSで容疑者がバッシングされ拡散され、

本人はおろか家族まで追い込まれていく。

 

星野さんは子供思いの大変優しい人で、一生懸命、成田市議会議員の仕事をされていたという。

子供を思う気持ちは純粋で、

そこには一点の曇りもなかったのは間違いない。

 

何かのよこしまな感情や見返りを求めるのが動機だったら、

あんな頭が下がるような活動はできないと思う。

 

そして性犯罪では取り調べで必ず余罪が出て来るのに、

星野慎太郎さんの件では、余罪は全く出てきていない。

 

冤罪なのだから当然である。

 

星野慎太郎さんは現在、裁判の真っただ中である。

 

前回の裁判(5月1日)では、

証人尋問で、星野さんに有利な証言があり、

その後、弁護士による星野さんへの尋問があった。

 

この尋問では、星野さんの無実を証明する証言が得られた。

 

すると検察官が体調不良に陥り、急遽、閉廷になったそうである。

 

これからも裁判は続くそうだが、

日本の司法が正しく機能してくれることを願っている。