私はしばらくして退職し結婚した。
夫の住む地は成田より遠くにあり、自然に会う機会も減っていった。
そんなある日実家から電話がかかってきた。
弟が最近大学に来ていないようだと・・・。
弟のアパートに直行して合鍵で部屋を開けるともぬけの殻であった。
どこに行ったのか手がかりは何もなかった。
父に心配をかけたくない一心で、母、私、夫の三人で興信所等を使って必死で捜索した。
それから一か月後のある日、父から悲痛な声で電話がかかってきた。
「お兄ちゃんが亡くなっていたんだと・・・」
弟は関西のある山で自死していたのを登山客に偶然発見された。
寒い季節だったので、体は半分凍ったような状態だった。
遺書は残されていたが、私には「お姉ちゃん幸せになってね」と書かれていた。
世界が真っ逆さまになったような気がした。
とても現実とは思えなかった。
現地で弟の体は私達家族だけで荼毘にふされた。
関空で骨壺を抱いた父が、色々な人にじろじろ見られていたのが可哀そうでならなかった。
葬儀は地元で行われたが、お寺に入りきらない程の大勢の弟の友達が来てくれた。
みんな泣いていた。
弟の骨を分けてくださいと個人的に頼んできた友達もいた。
私は長女だったので、泣いてやつれた両親にさらに負担をかけまいと、必死で明るく振舞った。
泣くのは両親がいないところで泣いた。
その日から泣かずに朝起きられるようになるまで半年かかった。
自分の半分だと思っていた弟・・・。
弟が世界からいなくなっても朝、日は登り、そして日は沈む。
それが不思議でたまらなかった。
自死は、病死や事故死などとは全く違う。
失うことよりもはるかに何倍も、あの時自分がああしていれば、という後悔が自分を苦しめる。
悲しみは乗り越えるものではなく、共にあって、
徐々に薄れていくものであることを知った。
それでも弟の死が私に教えてくれたこともあった。
それは人の命がどんなにかけがえもなく尊いものであるかということ・・・・。
失われてよい命などこの世に一つもなく、
人一人の命がどんなに尊いものであるか、
弟は自分の身をもって、私に教えてくれた。
そして私もまた、その尊い命の一つであると知った。
そして私は弟の自死をきっかけにして、死の向こう側にある世界を知りたいと思うようになった。
日本では多くの人が死の向こう側は無である、と考えている。
それに矛盾して、神の存在をなんとなく信じている人も多い。
けれど私は亡くなった弟とは必ずまた再会できると固く信じている。
家族からの愛する祈りは色のついたロウソクのように自死した人に届き、
天国へ向かうのを助けてくれる。
愛していること、自分を許すこと、自分を愛することが何より大切であることを心の中で伝え、
愛する人が眩しい光に包まれて笑顔でいる姿を心に鮮明に描き、
家族が祈り愛を送り続ける時、
それは自死した人に必ず届き、天国へ向かう大きな助けになる。
既存の宗教は政治的利用されあまりに人間の手によって改ざんされてしまったため、
脅迫的な内容も多く、
最も素晴らしいエッセンスと言える部分は真実だけれど、
自死に関する部分は間違っている。(数々の本を読んだ)
人間は理論的には119歳まで生きる事が可能であるという。
私がどこまで生きられるか分からない。
明日死ぬかもしれないし、119歳まで生きるかもしれない。
けれどたった一回しか生きられないこの人生を、後悔のないように生きたい。
振り返った時、あの時私は、私なりに精一杯生きたといえるように生きたい。
できるだけ笑顔でポジティブに生きて、
そして親切は人の目につかないところで行いたいと思う。
親切な行為をしたことは風のように忘れ、でも人に愛を受けたことは胸に刻んで生きたい。
自分にとっての道しるべのようなものであるため、
できるかできないかは問わなくても良い。
けれど、そういう方向を向いて生きていきたいと思う。
弟に天国で再会する時、「お姉ちゃん頑張ったよ!」と笑顔で抱き合いたい。