こんにちは、フジオッチです。

今日は、
これまで書いてきた自己開示とは
少し違う角度の話をしようと思います。

⸻

雲仙・普賢岳の噴火取材。

当時、
火山活動を間近で撮影しようと、
多くの報道各社が
避難勧告地域を越えた
いわゆる「定点」に集まっていました。

結果として、
あの悲劇が起きました。

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この出来事は、
単なる自然災害ではなく、
メディアの取材の在り方そのものに
重い課題を突きつけました。

・安全確保はどこまで優先されるべきか
・報道の自由とは何か
・「伝える使命」と「命」の境界線はどこにあるのか

この経験をきっかけに、
日本の災害報道のルールは
大きく変わっていきました。

⸻

実はこの時期、
私自身は国内ではなく、
中山大臣の中東訪問に同行取材していました。

イスラエルの難民キャンプを視察し、
テヘランを経由して帰国する行程。

そのまさに同じ時期に、
国内では
雲仙・普賢岳の悲劇が起きていたのです。

⸻

当時の新聞各紙の1面には、
中東和平交渉の成果と、
普賢岳の生々しい火砕流の写真が
並んで掲載されていました。

海外にいながら、
日本の状況を思うと、
胸がざわつくような感覚がありました。

同行していた記者仲間や、
日本にいるデスクたちの間でも、
島原の状況を案じる
大きな動揺があったのではないかと思います。

⸻

帰国の途中、
トランジットで
フランス・パリに立ち寄りました。

ホテルに着き、
部屋のテレビをつけた時、
そこで初めて
この出来事を知りました。

画面に映る映像を見ながら、
言葉が出ませんでした。

⸻

帰国後、交代で現地取材にあたりましたが、
振り返ってみると、
自分は取材全体の中でも、一番落ち着いた時期に現地に入っていた
のだと思います。

その時点では、
まさか同業他社の仲間たちが、
これほど多く亡くなることになるとは、
想像もしていませんでした。

今振り返ると、
自分が現地にいなかったこと、
あの場に立っていなかったこと。

それを
「運」や「偶然」だけで
片付けていいのか、
分からなくなる時があります。

⸻

報道とは何か。
現場に立つとはどういうことか。

雲仙・普賢岳の取材は、
今でも私の中で
重い問いとして残り続けています。

そして同時に、
ここまで無事に生きて
振り返る立場にいることに、
静かな感謝も感じています。

⸻

また、
過去の自分を振り返る話を
書いていきますね。

フジオッチ

こんにちは、フジオッチです。

今日は、
これまで書いてきた自己開示の中でも、
今だからこそ書ける話をしようと思います。

⸻

在ペルー日本大使公邸占拠事件。

1996年12月17日から
1997年4月22日まで続いた、
長期の人質事件です。

私は、
第3陣として現地取材に入りました。

⸻

私が現地に入った時点で、
事件はすでに発生から
約2か月が経過しており、
状況は膠着状態でした。

交渉のために、
シプリアニ大司教が
公邸に出入りする姿を見ることが、
日常の光景になっていました。

正直に言うと、
その時の私は
「危険だ」という実感を
あまり持っていませんでした。

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まさか、
地下にトンネルが掘られているとは、
まったく想像もしていなかったからです。

今思えば、
それはとても危うい感覚でした。

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私が関わった時期は、
比較的動きの少ない時期だったため、
怖い思いをすることはありませんでした。

しかし、
最初に現地入りしていた同僚の中には、
大使公邸の中に入って
取材をすることになった者もいました。

そして、
事件終結の瞬間を現地で取材していた同僚は、
実際に
銃撃戦を目の当たりにしています。

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こうして振り返ると、
自分は本当に
紙一重のところにいたのだと思います。

怖い思いをしなかったのは、
運がよかっただけなのかもしれません。

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最近、
ふと感じることがあります。

自分はこれまで、
何度も危うい現場に立ちながら、
どこかで
見えない何かに守られてきたのではないか
という感覚です。

それが、
ご先祖様なのか、
ハイヤーセルフなのか、
何と呼ぶかは分かりません。

でも、
「助けられてきた」
そう思える瞬間が、
年齢を重ねるほど増えてきました。

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若い頃は、
ただ仕事として現場に立ち、
必死にカメラを回していました。

今は、
その一つ一つを
こうして振り返り、
無事にここまで来られたことに
感謝するようになっています。

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また、
過去の自分の話を書きますね。

フジオッチ

こんにちは、フジオッチです。

【過去の自分自己開示④】、
前回書いたエピソードについて、
少し大事なことを思い出しました。

⸻

この取材は、
確か1991年5月。

当時の
中山太郎 外務大臣の
中東訪問に同行した取材でした。

主な目的は、
イスラエル訪問。

中山大臣は、
イツハク・シャミル首相や
ダヴィド・レヴィ外相と会談し、
占領地での入植活動の中止などを求めました。

⸻

その訪問の一環として、
**パレスチナ占領地域
(ヨルダン川西岸地区)**の
難民キャンプを視察する取材が組まれました。

ここでの同行取材が、
今でも強く記憶に残っています。

⸻

移動はヘリコプター。

中山大臣は
要人輸送用のヘリで現地へ向かい、
私は、
**別のヘリ(戦闘用ヘリ)**に乗って
現地へ向かいました。

機内には、
私のほかに
現地のカメラマンが同乗していました。

⸻

飛行中、
そのカメラマンが
身振り手振りで、
「この下が、難民キャンプだ」
と教えてくれました。

私は、
ヘリの上空から
その光景を撮影しました。

言葉は交わさなくても、
そのジェスチャーだけで、
何を伝えたいのかは
十分に分かりました。

⸻

その後、現地に着陸し、
中山大臣に同行して
難民キャンプを取材しました。

特別な演出も、
劇的な出来事もありません。

ただ、
現実がそこにあり、
それを記録する役目があった。

それだけでした。

⸻

写真は残っていません。

でも、
ヘリの振動、
乾いた空気、
上空から見下ろした景色は、
今でもはっきり覚えています。

⸻

こうして振り返ると、
若い頃の私は、
「歴史の現場にいる」という意識よりも、
目の前の現場を成立させることに
必死だった気がします。

でもその積み重ねが、
今の自分をつくっている。

そんなことを思いながら、
この自己開示を書いています。

また続きを書きますね。

フジオッチ

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