おとぎ話。 | 日記『人生はお散歩』

日記『人生はお散歩』

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かつて、かつての大昔。

人種も言葉も一つの頃がありました。


その頃は今のように、お金や物資に関する欲求も存在しませんでした。
おおよそ、今でもかろうじて現存しているインディオの精神がその意味合いに近いでしょう。


物やお金を独占するという概念がなかったのです。
利己的に自然を支配し、破壊するという発想もなかったのです。


今とその頃とで比べれば、当時の暮らしは至って単調なものでした。
人類は悠久の時を経て現在の段階まで進化したのですが、その頃はまだ知性は劣り、どちらかと言えば動物的な要素の方が前面に出ていたのです。


更に時は流れ、人類は大陸の各地に分散して、それぞれの環境に適応をし始めました。


環境が劣悪な場所もあれば、分散をした人たちが立ち退いたことで、それまでよりも住み慣れた土地に余裕ができ、その広く空いた場所をどう管理するのかという変化と対応が暮らしの中に生じました。


環境を巡って縄張りを誇示をする者が出てきたのです。
劣悪な土地では食べ物と飲み物、そして居住する家を持つことが最優先されました。

生きる本能の仕向けた小競り合いでありますが、それが次第に人類の始祖の中に権力を持つ者と、持たざる者の境を築いていく事になったのです。


時は更に流れて行きます。
人は地球の生理的現象である大陸の移動と、潮流の間隔と上手く付き合いながら更に更に地球全土へ分散をしました。


この頃になると、集落から国という更に上位の集団が形成され、権力者とそれに従う者の関係は明白になっており、そして独自の文化が構築され元々一つしかなかった言語も、結成された国家・民族の数だけ増大することとなりました。


言語が誕生しはじめた当初はそれでもまだ国家同士、民族同士の交流を保っていたので言語に対する理解も維持できていました。

この時代、人は動物的要素で縄張り支配の生業に加えて、更に生命進化の過程で得た知性によって現在の貨幣に相当する新しい富への価値観を各国々の中で順当に実行していました。


そうやって国家という枠組みが強固なものになっていくと、その国独自の産業技術・経済が発達していき、単なる土地の支配という生業に新たな付加価値が付くこととなりました。


戦争をするということは、単に土地という領土の拡大だけでなく、産業や経済の吸収・奪取という意味も備わったのです。

こうやって人は幾年も幾年も旅と争いを繰り返していき、その戦乱の影響で国家間同士の障壁が生まれ平和的な交流も模索しつつ、国というオリジナルの単位を優先する生存本能が優先され、次第に各国や民族の言語に対する理解・認識も薄れていったのです。


この頃に比べると、現代の人類が持つ肉体と魂は格段に進化と変化を遂げました。
しかしながら、まだまだ他者に偏見を持つことや、武力で支配をすること、命を奪うこと。
その不均衡を均衡な世界として一部の人間が大勢の印象操作をしていることも、当時とそんなに変わりません。


争いも貧困もそれ相応の理由があるのですが、遥か原始の時代にいた人類の間には争いも貧困もなかったのです。


突然ある日、人の始祖は知性に目覚めたのです。

それは動物という性から脱却するきっかけとして、グレートスピリットが与えてくれたものでした。

動物的性と知性はお互い相容れない関係にあります。
すなわち、人としての再生を魂が必要としなくなるということは、知性が動物的性に優ったということであり、魂が知性と動物的性を通して真実・実相を理解したということになるのです。

そうなるともう、その魂は再生を必要とはしなくなります。
もうそこで得るものはなくなるのですから。


幾千年、幾万年、幾億年。
この地球から争いがなくなったことはありません。
しかし、確実に争いの数が減っているということも事実なのです。


つまりそれは、ゆるやかではありますが魂は確実に進化している。
日々アセンションを繰り返しているということであり、生活の舞台である地球も生命の向上進化に合わせてアセンションをしている。そういうことになるのです。












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