これまで私は霊現象に対する相談は、知識に裏付けされた割合よりも経験や体験を中心に対応してきた。
その一つ一つを思い返してみると、とてもスムーズに解決したものもあれば、霊能力を通して見ていた見通しよりもずっと大きな成功・変化もあったし、逆に解決の糸口が中々見えない事もあった。
そういった一つ一つが私自身が感覚人間という事もあって、自分の肌で感じた以上の知識や体験を求めなかったというのが、同時に反省点として潜んでいると思う。
理屈があって霊的対処に対しての変化が起こっているのであるし、除霊やお祓い一つ一つにも、きちんとそうなるだけの意味や仕組みが必ず備わっているものである。
縁ありここ数か月、霊現象の仕組み・理屈について詳細に書かれた本を手にする機会があった。
それらを読み、知ったこと、改めて認識の深まったことは、想像していた以上に霊界からの接触とやり取りが行なわれているということ。
そこに集まった霊団が人間に分かる形で実際に霊現象を起こしてみたり、言葉や文字で質疑応答をこなしている組織が多数存在するという事である。
これらの事実を組み合わせて行くと、現代はまだまだこの世的で唯物的な価値観が根強く、目先の出来事と情報に翻弄されているということ。
この価値観は物・金を手元に集めるということが、生きるという全ての目的・動機となっていること。
死とは無の世界であるとか存在しないとか、これまた根拠のない動機でそう決めつけられ、ないがしろにされているというのが現状という事である。
私自身はこれまでの活動・経験を含めた上で、死後の世界は肯定している。
死んだ後にこの世に未練や執着がある場合を除けば、人の魂は確実にあの世へと行くのである。
死とは脱皮のようなものであり、小学校から中学校へと通うようなもので、死んだらそれで終わりという事ではないのである。
あなたという個性は死後も存在し続けるのである。
そして死んだ後というのは、生前稼いだお金とか物を一つでもあちらの世界へ運ぶことはできないのであるし、その稼いだお金や物の価値というのは、向こうでは一切値打ちのないものなのである。
この世に人として生まれた事は、魂の成長を促がすためであるし、この世でいかに人の助けとなって身を削ったか。
このことがとても重視される世界なのである。
そういう本来、生が持つ意味、魂の計画に従って生きることが今もまだ難しい時代の中に私たちは生きている。
そういった現状を打破するためにも、あちらにいる霊団は私たち人間も同じ法則の中で存在する同志として、何とか生きるための王道を分からせようと協力をしてくれようとしているのである。
このことは困難という足元の石ころを取り払ってくれるという事ではない。
まだまだ科学が一番正しいという迷信は、根強くこの世の中を支配している。
科学・物的に証明できないのものは存在しない。そういう意識がまだまだ人の心を覆っている。
それが本当かどうかそろそろ区別ができる段階にまで霊団の接触が行われているというのが事実である。
科学の証明のみで物事を鵜呑みにしていいのか。そういう問題提起が必要である。
ここ日本にも科学という方向から心霊を研究している組織がある。
霊の存在がある・ないという科学研究ではなく、これらの現象を科学的に注意深く研究することで誤りなく理解しようと取り組み、そこで人の為・世の為になることは率先して役立てようという機関である。
来月、この支部で催される一般参加も可能な定例会を受講する流れを頂いた。
霊現象はもうただの不思議では済ませられない根拠ある現象として認知され始めて来ている。
メディアはまだまだ面白おかしく恐怖を煽る方向で心霊を報じるが、具体的な霊の定義・法則などは報じない。
しかし死後もあなたという魂・個性は存在する。
これは紛れもない事実である。
医療業界を見ても、患者一人を治すのに単に体の治療・精神的な治療のみでは足りておらず、他に何か欠かせない要素があるのではないかという段階まで来ている。
人は霊・精神・体という三大要素で繋がっているという実態の入口に迫りつつある。
しかし科学・統計…それらによって述べられるものだけが根拠であり証拠という認識が居座り、数値や画像などで可視化できないものは受け入れられない。
こういう認識がある以上は霊とか心霊治療とかそういう事は言い出せない空気なのである。
いずれの時代にか東洋・西洋医学という分野に心霊医学という分野が同権で確立され、それらの要素も当たり前に踏まえた上で生活をしている日も来るだろうと思う。
知識はないよりある方が良い。
心霊は科学され、少しずつ私たちの生活の中に根付きつつある。
そういう時代がもう既に始まっている。