私の過去最大級の悲しかった出来事。
忘れもしない小学校5年生の時。
私は体を動かすことが大好きだ。
バスケットボールを知ってからは、日に日にバスケが好きになり、いつしかバスケのことが大好きになった。
5年生からクラブ活動が始まった。
何かのクラブに入つてもいいし、入らなくてもいい。
バスケはもちろん、クラブ活動の中に入っていた。
当時は、NBAやJーリーグが流行っていて、機運も高まっていた。
しかもバスケの顧問の先生は、話しやすい若い男性の担任の先生だった。
もちろん私はミニバスケに入部したくて満々だった。
見学もして、ワクワクしながら家へ帰った。
何にも考えず、、いや、お父さんに言うには躊躇していたところもあったように思う。
けれど、それよりなによりバスケがしたい一心だ。
やって当たり前だろうとどこかで。。そう、どこかでそうおもっていた。
私はお父さんに言った。
欲求を伝えることは中々なかったので、きっとたどたどしかったと思う。
それでもバスケがやりたいから、頑張って勇気を出して、自分の欲求を、バスケをしたいと伝えた。
よく覚えていないが、そのときか、後日か、答えはNOだった。
理由は、勉強ができないから。
その理由はよく覚えている。
それを聞いて、悔し涙が初めて出た。
母に訴えた。それでもしたいと。
しかし母は、共感はしてくれたように思うが、私に背中を向けて共感していたイメージが大きい。聞いてくれた場所は台所だった。
父へ、計らってくれそうな雰囲気や言葉ではなかったように感じた。
私にとって大事な大事なことが伝わらない、、
あきらめに似た、もどかしさ、虚しさを感じながら
言っても無駄か・・・と思った。
そこで私のやりたいことをやるという希望はおっけなく終わってしまった。
その後、指をくわえながらミニバスの試合を遠くから見ていたのがわたしらしい。(笑)