その間に私の45歳の誕生日も迎えました。
実母と離れて41年。
実母の旦那さんとは2〜3日に1度、電話で連絡を取り合っています。
お互いの安否確認といったところでしょうか。
おじさんは私が被虐待児であったことを知っています。亡くなって数日後に実母のケータイへ今までの気持ちをぶち撒けました。
どうして実母が亡くなってからなのか。
それは実母が知ったらきっと置いて行った自分を責めると思ったから。そしてそんな私を重く感じるだろうと思ったから。だから生きてる内には言いたくなかった。だけど再会したらきっと私は実母に話してしまう。自分で抱え込んで居られなくなってしまう。甘えが出てしまう。
そう考えたら折角実母と連絡が取れるようになっても気が引けて逆に連絡出来んくなってしまった。
でも一度だけ、連絡が取れるようになってから2年後の私の誕生日に「産んでくれてありがとう」とショートメールを送ったら、忘れた頃に「ありがとう」と返信が来た。
元気そうだったから、私の気持ちがもう少し消化出来てから「会いたい」と伝えようと思ってた。
旦那と子ども達にも会ってもらいたかった。
私は今は幸せなんだよ、とその姿を見て貰いたかった。
そんな風に自分の気持ちに踏ん切りがつかないまま更に年数が経ったら呆気なく死んでしまった。
再会した時に自慢に思って貰える娘でありたかった。
再婚相手のおじさんにも「出来た娘だ、さすが我が女房が産んだ娘だな」って思って貰いたかった。
人から見られる自分を意識し過ぎていた為に最大のチャンスを失ってしまった。
もう二度と取り戻せない。
母の声、母の笑顔、母の喜ぶ顔、私は何も覚えていない。だから母の命日にお花を送って、おじさんから「ちえみも喜んでるよ」と言われても母の喜ぶ姿を知らないから想像できない。
私の知ってる母の顔は父に殴られて血まみれになった泣き顔だけなんだ。それすら今は黒く薄っすらとしか思い出せない。
唯一、母から私への想いを感じられるのはこの「さゆり」と云う名前だけ。
母も私もひらがな表記です。
おじさんは母の武勇伝を沢山聴かせてくれる。
自分の会社や取引先の会社の社員さんから「姉さん」と慕われ頼りにされていたこと。
社員一人一人に寄り添っていたこと。
各地の取引先に一人で出向いては営業活動を行なっていたこと。
その結果、仕事を何本も獲ってきたこと。
おじさんが海釣りでイサキを40本も釣って来た時には4時間かけて手料理を作り社員さんに振舞っていたこと。
私は母を甘く見ていたのかもしれない。
きっとそんな母なら私の身体の傷痕も含めてそのままの私を、鬱の私を丸ごと受け止めてくれたのかもしれない。
今さっきおじさんにそう話したら
「そうだな、アイツ程の器のでかい女は見たことねーな」と笑っていた。そして「オレはよぉ、神経質でな、箸の上げ下ろしから文句が出ちまうんだけど、そんなオレでもちえみはどーんと支えてくれたなぁ」と。
私はおじさんから母の話を聞かせて貰えることで少しずつ心が軽くなっているように思います。
虐待の日々だった10年間と自分らしく生きられなかった41年間を今やっと過去のものとして考え始めたような気がします。
とは言っても無防備な状態での不意打ちには大ダメージを喰らうでしょうが、子ども達の母として旦那の妻として母ちえみのように強く逞しく生きようと思います。
このアカウントのブログはこの記事をもってもう終わりにします。
アメブロは続けますが新しいアカウントで始めます。
理由は色々ですが、私の願わない所で注目を浴びてしまい、もしかしたらリアルな私を知っている人も記事を読んでいる可能性が出てきたからです。「読んでるよー」と実際に会話したりコメントでやり取り出来た方は大丈夫なんです。
子ども達との日々も載せたいので新しい記事にはハッシュタグも付けずに書き残します。
こんなネガティブな記事にも興味を持ってくださっていた方には大変申し訳ございません。
今までお邪魔させて頂いている方へはこの「サユ」アカウントで引き続きお邪魔させてください。
もしお嫌でしたら私をフォロワーから外してください。
〜追記〜
私の記事にコメント等くださっていた方、ブログで息子の成長を見守ってくださっていた方々へは、設定出来次第新しいブログのアドレスをお伝えします。フォローして頂けるかどうかのご判断はお任せしますね。
それから、この記事で最後にすると申しましたが、同じ全空連に所属されている親御さんが我が子達の空手の様子を見守ってくださっている事を思い出しました。都内の方だったかな…
来月末に全少、全中の予選会があるのでその結果をこちらに載せて最後とさせてください。
今まで有難うございました。
サユことさゆり



