パチ屋 | ありのままにあるがままに

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ママは虐待サバイバー。
旦那は超マイペースなポジティブ野郎。
息子は情緒不安なADD。
娘は明るく活発だけどADD?
誰の遺伝?ママ?
イヤ違う、きっと旦那だ(笑)
小さな空手家2名と弓引き、子どもLoveだけど仕事人間な旦那との日々の出来事を書き残しています。

 私が小学3〜4年生の頃、継母は子ども達を連れてよくパチ屋に行った。
当時のパチ屋は子どもが台を取ってても何も言われなかったから、私と弟は座って打ったり当時2歳位の妹の面倒を見てたりした。
継母はパチンコ専門。
ハンドルを教えられた通りの位置で押さえとく。

何も楽しくなかったけど、知らないおじさんやおばさんが端玉のチョコをくれるのが嬉しかった。

それから20年近く経って、私はパチ屋の経理職に就いた。
パチスロには全く興味がなかったけど、簿記を取ったばかりで

経理初心者OK
月給手取り20万超え
残業手当あり
賞与年2回
社保あり
食事付き
等々の待遇に惹かれて入った。

早番と遅番のシフト勤務だったけど、それはホテルマン時代に経験済みだから体力的には問題なかった。

いつかは9時〜5時の会社に入れればいいや、なんてそれまでの繋ぎのつもりで入ったけど、思いの外面白くて、2年間も働いてしまった。

そこのパチ屋は総台数500程度の小さなお店だったけど、金庫には現金が必ず3千〜5千万あって、私は毎回監視カメラのついた金庫部屋で現金をひたすら集計したり、事務所の監視カメラで怪しい動きをしている人を見つけたらインカムでホールのスタッフに伝えたり、ここには書けないけど特殊な業務も色々と経験した。

休憩交代では景品カウンターに立って交換業務もした。

イベントの日には女の子達に浴衣を着つけたりもしたし、食堂のおばちゃんが急な休みの時は代わりに食事作りもした。

これじゃあ何でも屋だ。

中でも一番面白かったのは釘打ち。
店長が打ってる後ろで覗き見してたら少しだけ覚えてしまい、試しに打たせて貰ったら初めの頃は私が釘打ちした台には誰も座ってくれない。
締め過ぎだったのね。
だけど、辞める頃には座ってくれる人が結構居て、その様子をカメラで観るのが楽しかった。

本来釘打ちは誰にも見られない所でするんだけど、その時の店長は後継者を育成する目的があり、事務所で自分の技を数人に教えてたんだ。
ノリの良い人だったから、誰が打った台が1番お客さんに楽しんで貰えるか競争させる中に私も混ぜられてしまった。
お前ら事務員に負けたら昇格無しな!みたいな感じで。

肝心の経理職は、専用のシステムを使って計上するから簿記の知識はあまり要らなかったけど、ポップ作ったりHP作ったりしたから、PC業務の知識は格段にアップした。

2年の間に4人の店長と仕事をしたけど、店長によってスタッフのモチベーションの違いがあからさまで、それにはすごく驚いた。

私が入った間なしの頃の店長は元ホストの30代。
マイクは一気飲みを煽るような耳障りなもの。
水商売だなぁ、なんて思った。

次に小さいオカッパ頭。やたらと美髪の40代。
おっとりしてるけど、眼光は鋭かった。
元ホストが辞めて、それまでの野放し状態から目が行き届くようになり、窮屈さを感じ出したスタッフは次々と辞めていった。

次は外部会社の人。
パチ屋専門の派遣店長①ゲジゲジ眉毛。
お店を立て直すのが目的で台のメンテナンスや設定を誰にも見られない夜中に一人で行う。半年間泊まり込んで。昼間は上層部の教育指導。
結果、売上アップ。常連増える。
営業中、事務所でマンガ読みながらホールスタッフに指示出ししていた上層部は、ホールに出ることが多くなった。

そして私が辞めた時の店長が派遣店長②細目。
上層部に釘打ちを伝授し、ホールスタッフの評価シートを作成し、真面目に仕事をこなすスタッフの時給をどんどん上げた。
今までバレずに手を抜いてたスタッフは昇給しなかった。
ふと気が付くと、一歩間違えることをしそうな奴らは居なくなり、仕事を普通に頑張れる人だけになっていた。

こうして時系列で並べてみると、本社はあの店舗を何年かかけて本気で立て直そうとしてたんだなーって感じる。
でも結局、数年後には潰れちゃうんだけど。

ここの系列のパチ屋は千葉に多いんだけど本社は岐阜。
そして私が住む街にも1店舗あった。1200台はありそうな位、大きな店舗。
元気そうでよかった。