まちおこしに必要なものはなに? | 燎原の火の如く (私塾愚公庵)

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ふるさと南房総を愛する“吠えるトトロ”が、「まちおこし」と「事業経営」に関して自らの経験と多くのすばらしい人達からの学びを基に、未来への希望を持って気ままに吠える言いたい放題ブログだよぉぉ~~ん♪

ずいぶん時間が経ってしまい、なかなか始めることができませんで大変失礼しました。


(誰に・・・?)


それでは、深呼吸をしてからはじめますぅ~。



(はぁ~ ふぅ~・・・)




日本の地方経済の衰退が止まらず、全国で“まちおこし”が叫ばれて久しいが、なかなか成果があがっていない。
当地、南房総も例外ではない。

国でも、与野党ともほとんどの政党が地方分権(主権?)を国策としてあげているが、これといった期待できる具体的な政策も見当たらない。


それでは、「豊かで活気ある地域社会」を作るためには、何が必要なのであろうか?



致命的に欠けているのが『戦略』である。

私がふるさと南房総に帰って20年以上経つ。
この間、多くの地域活性化のグループ・団体・会議等に参加してきたが、常に思うのが「戦略の欠如」である。



まず、ほとんどの人がまちおこしを「アイデアと行動力」で実現できると思っている。
不思議である。
何を根拠に「アイデアと行動力」で地域が活性化できるのか?

全く理解できない。


天才であれば、「アイデアと行動力」で活性化できるのかもしれないが、私は天才ではない。
私の周辺にも天才は見当たらないのだが・・・?


少々極論ではあるが、私は「まちおこしにアイデアと行動力は、全く必要ない」と思っている。


だいたい、「アイデアと行動力」とは、何を指しているのか?

ほとんどの場合、アイデアとは思いつきのことを言っているようである。
確かに思いつきでも「一、二度うまくいくことはあるだろう」が、継続してうまくいったのを見たことが無い。
まちおこしは継続してこそのものである。

また、行動力は絶対のもので、否定する者はいないと思っている人が多いが、果たしてそうだろうか?
行動力を強く言う人の話を聞くと「やらなかった後悔より、やった失敗のほうがよい」とか、「何もしないよりまし」程度の意味らしい。

だとしたら、実に危険である。

失敗を次につなげるには、その行動の位置付けや意味を戦略的に明確にして、さらにそのリスク管理まで行った上で実施しなければならないはずである。
ましてや「何もしないよりまし」程度では、うまくいくはずがない。
さらに、良く言われるように「日本社会は失敗の許されない社会」で、再チャレンジのチャンスは極めて少ない。

行動力に関しては、まだまだ言いたいことがあるので、後日に譲る。



私の考えるまちおこしに必要なものは、大義ある目標となる「目指す地域社会のあるべき姿」と達成するための「大枠での緻密な戦略」だと思っている。

 ※大枠と緻密に矛盾を感じる人がいると思うが、またの機会に説明する。



長くなってしまったので、具体的なことは次回以降に・・・♪




それでは、南房総の明るい未来を願いつつ

 これを読まれた皆様が、今日も一日お幸せでありますように♪