今年20歳になる発達障害の息子っちのお話です。
※長文ですのでOKな方のみお進みください<(_ _)>
昨日の夜ご飯の時
まだわからないけど
4月になったら何か始めてみようかな
って息子っちが言ったんです
それを聞いて思わず二度見してしまいました
彼の前向きな発言にうれしいやら驚くやら
発達障害、細かく言えば高機能自閉症で反抗挑戦性障害であるがゆえに学生時代は苦労しました。
特に二次障害である反抗挑戦性障害は癇癪が酷く暴力をふるったり暴れたりすることも。
それが原因で児童精神科に3年ほど入院しました。
ですが、退院しても彼を受け入れてくれる学校はなく、フリースクールなどにも行きましたが、結果、不登校に。
そんなある日、この時も息子っち本人から
学校に行くのは嫌だけど
塾とかなら行ってみたい
と言ってきたので、中学3年生の時に家庭教師のトライに通い始め、まずは英語だけ学習を始めました。
その後、そのままトライ式高等学院に入学し、日本航空高校通信課程を見事に卒業し、ゲームプログラミングの専門学校に進学しましたが、学校生活を1年ぐらいしか送ってこなかった息子っちにとって本格的に学校というところに通うということと、クラスメイトとのコミュニケーションや、授業のスピードについて行けず、6月末で中退しました。
今は息子っちの好きなように毎日を過ごしています。
私たち親も高校は卒業できたんだから、何もしていない息子っちをバイトでもいいからなにかしろ!とか、追い込むような発言は控えて、息子っちのペースに任せよう、と話していました。
それから18歳で成人ということもあり、自立支援と精神障害手帳を取得しました。
等級は2級でした。
それを見た私はショックでした。
私も同じく自立支援と精神障害手帳を持っていますが3級です。
見た目は健常者と変わらない息子っちは私と同じ3級だと思っていたんです。
なので、ビックリしたのと同時に、もっと早く療育手帳なり精神手帳なりを取得して支援を受けていたら息子っちももっと楽に生きられたんじゃないかなぁと自分を責めてしまいました。
けれどその時は児童精神科に小学校2年生から通い始めていたのもあって、発達障害の支援センターにも行きましたが、病院で診てもらっているならうちに来ることはない、と突っぱねられたことがありました。
区役所にも相談に行きましたがこれといった手立てがなく、結果、中途半端なまま高校生になりました。
本来なら高校生活にいろんなイベントがありましたが、1年生の時にコロナ禍になり、卒業するまでイベントがすべて中止になりました。
それが息子っちにとって吉と出たようで、本人はイベント中止を喜んでいましたね。
というのも団体行動が出来ないんですよ。
運動会とか、文化祭とか、遠足とか、課外学習とか大嫌いで。
体育の授業もダメでしたね。
学校行事が大嫌いな息子っちは小学校の頃、毎回休んでました。
なので、コロナ禍のおかげでうまい具合に卒業できました。
やっぱり本人にとっては今年20歳になる、というのが大きかったんでしょう。
コミュ障の息子っちが木曜日に行った美容室で、担当さんと会話をした!会話ができた!という親にとってのビックニュースがあったばかり。
帰りは一人で帰れたし、なんなら本屋さんまで行ってきた!という行動力を見せてくれて、拍手喝さいですよ!
いや、本人に任せていてよかったんだなぁと改めて実感しております。
カメの歩みですがきちんと成長はしているんだ!と。
いやー、ほんとビックリすることが続いていて、うれしいです!
息子っちの成長を噛みしめております。
そして次の段階に入った息子っちの話をまたここでできたらいいなぁと思うのでありました。
長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました<(_ _)>
では
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