Biography 1
自分は両親にとって第一子であるが,結婚後はなかなか子供が出来なかったらしい.
母親の話によると,旅行先の武田神社で「信玄公のように賢く強い男の子が生まれますように」とお祈りをし,しばらくして僕が出来たらしい.
僕の名前には母親は「猛」というように雄々しい雰囲気の漢字を使いたかったようだが,父親の父,つまり自分の祖父の意向により名前はお寺でつけてもらうことになったらしい.
(今の自分の考え方では「仏教はネズミ講」とすら言っているのだから,何とも皮肉なものだ.)
2つばかりの候補があったらしいが,「良典」という名前に決めた.優しく良い子で,そして辞典のように賢くというのが気に入ったらしい.そして,読み方はリョウスケとヨシノリがあったが,叔父がヨシミツであることや,乃木希典の音からリョウスケとしたらしい.
この名前のおかげで,今では迷惑電話はすぐにわかるし,自己紹介するときにも読み方を説明するため話題に困らないし,英語でも" Writing spell is R, but the pronunciation is L"と話ができる.
非常に感謝している.
さて,そのようにして両親の期待と喜びの中生まれた僕を親戚も盛大に祝ってくれたそうだ.
特に父方では祖父の初孫ということでそれこそ,町中の人が挨拶に来たりしたらしい.
もちろん五月人形は高価なものだし,鯉のぼりも大きなものだった.
父方の祖父は僕を見て「この子は賢くなるから,育て方をしっかりしなければならない.目がいい目をしている」と言ったそうで,母親はプレッシャーと共に嫌な気分になったそうだ.
(母親は父方の両親とは仲が良くない.もっとも,今となっては父親とも仲は良くないが.)
僕は成長が早く,6~8ヶ月で話し始め,10ヶ月の時にはもう歩くどころか走っていたらしい.
そして,母親から聞いた幼児期のエピソードとしては,僕の不思議な能力の話がとても興味深い.
当時,両親は僕を色々なところへ車で連れていったそうだ.
すると,初めて行く場所で車の中で僕が手を合わせて拝むところがあり,母親が「どうしたの?」と聞くと「ノンノンさんがいる」と言ったそうだ.
不思議に思う父親が車を止めて路肩の草を掻き分けて見ると小さなお地蔵様があるということが,何回もあったらしい.小さな子供にそのお地蔵様が見えるはずもなく,本当に不思議と言うか両親は気味悪かったらしい.
信仰心を持たない自分が昔,まるで霊能力者のようなことを言っていたというのに驚くが,確かに今でもそれに近いような不思議な経験をするから,もしかすると,現代科学ではない特別な何かを僕は元来持っているのかも知れない.
というのも,実は幼児期に僕は一度憑かれた経験がある.
病院から自宅へと帰ってきてしばらくすると僕の目が異常に腫れ出した.
焦った親は病院に連れて行くが原因が不明,高熱も出てしまい,幼児には強すぎるから使うのは危険だと言われた抗生物質まで使うが治らない.
どうやっても治らず,困っていると母方の祖母が知り合いのつてで「霊能力者」のおばさんを紹介してきた.今から考えれば笑ってしまう話だが,初めての子供が原因不明の目の腫れと高熱で苦しんでいたのだから藁にもすがる思いだったのだろう.
その霊能力者のおばさんが言うには,「ふもとの宿場町から昔逃げた遊女の霊が憑いている,昔,この家に住んでいた人はお経を毎日あげてくれたが,今度の人はあげてくれない」ということでその苦しみが僕の病気を引き起こしていると.
そこで,「一週間毎日このお経をあげてください」と言われ,言われたように毎日お経をあげていると本当に一週間後には病院でも原因不明だった病気が治ったそうだ.
しかも,その霊能力者はお礼も受け取らなかったようで,どうやら本物だったらしい.
このような自分自身に関わる話を知っているだけあって,今のテレビに出ている霊能力者を演じる連中には眉唾を感じてしまう.
僕の記憶がおぼろげに始まるのが大体3歳くらいからであるため,ここまではおそらく2歳くらいまでの話ではないかと思う.ここまでは母親から伝え聞いた部分になる.
続く.
母親の話によると,旅行先の武田神社で「信玄公のように賢く強い男の子が生まれますように」とお祈りをし,しばらくして僕が出来たらしい.
僕の名前には母親は「猛」というように雄々しい雰囲気の漢字を使いたかったようだが,父親の父,つまり自分の祖父の意向により名前はお寺でつけてもらうことになったらしい.
(今の自分の考え方では「仏教はネズミ講」とすら言っているのだから,何とも皮肉なものだ.)
2つばかりの候補があったらしいが,「良典」という名前に決めた.優しく良い子で,そして辞典のように賢くというのが気に入ったらしい.そして,読み方はリョウスケとヨシノリがあったが,叔父がヨシミツであることや,乃木希典の音からリョウスケとしたらしい.
この名前のおかげで,今では迷惑電話はすぐにわかるし,自己紹介するときにも読み方を説明するため話題に困らないし,英語でも" Writing spell is R, but the pronunciation is L"と話ができる.
非常に感謝している.
さて,そのようにして両親の期待と喜びの中生まれた僕を親戚も盛大に祝ってくれたそうだ.
特に父方では祖父の初孫ということでそれこそ,町中の人が挨拶に来たりしたらしい.
もちろん五月人形は高価なものだし,鯉のぼりも大きなものだった.
父方の祖父は僕を見て「この子は賢くなるから,育て方をしっかりしなければならない.目がいい目をしている」と言ったそうで,母親はプレッシャーと共に嫌な気分になったそうだ.
(母親は父方の両親とは仲が良くない.もっとも,今となっては父親とも仲は良くないが.)
僕は成長が早く,6~8ヶ月で話し始め,10ヶ月の時にはもう歩くどころか走っていたらしい.
そして,母親から聞いた幼児期のエピソードとしては,僕の不思議な能力の話がとても興味深い.
当時,両親は僕を色々なところへ車で連れていったそうだ.
すると,初めて行く場所で車の中で僕が手を合わせて拝むところがあり,母親が「どうしたの?」と聞くと「ノンノンさんがいる」と言ったそうだ.
不思議に思う父親が車を止めて路肩の草を掻き分けて見ると小さなお地蔵様があるということが,何回もあったらしい.小さな子供にそのお地蔵様が見えるはずもなく,本当に不思議と言うか両親は気味悪かったらしい.
信仰心を持たない自分が昔,まるで霊能力者のようなことを言っていたというのに驚くが,確かに今でもそれに近いような不思議な経験をするから,もしかすると,現代科学ではない特別な何かを僕は元来持っているのかも知れない.
というのも,実は幼児期に僕は一度憑かれた経験がある.
病院から自宅へと帰ってきてしばらくすると僕の目が異常に腫れ出した.
焦った親は病院に連れて行くが原因が不明,高熱も出てしまい,幼児には強すぎるから使うのは危険だと言われた抗生物質まで使うが治らない.
どうやっても治らず,困っていると母方の祖母が知り合いのつてで「霊能力者」のおばさんを紹介してきた.今から考えれば笑ってしまう話だが,初めての子供が原因不明の目の腫れと高熱で苦しんでいたのだから藁にもすがる思いだったのだろう.
その霊能力者のおばさんが言うには,「ふもとの宿場町から昔逃げた遊女の霊が憑いている,昔,この家に住んでいた人はお経を毎日あげてくれたが,今度の人はあげてくれない」ということでその苦しみが僕の病気を引き起こしていると.
そこで,「一週間毎日このお経をあげてください」と言われ,言われたように毎日お経をあげていると本当に一週間後には病院でも原因不明だった病気が治ったそうだ.
しかも,その霊能力者はお礼も受け取らなかったようで,どうやら本物だったらしい.
このような自分自身に関わる話を知っているだけあって,今のテレビに出ている霊能力者を演じる連中には眉唾を感じてしまう.
僕の記憶がおぼろげに始まるのが大体3歳くらいからであるため,ここまではおそらく2歳くらいまでの話ではないかと思う.ここまでは母親から伝え聞いた部分になる.
続く.
Future make Past be treasure
絶賛、公募に落ちまくっているんだけど、僕はまだまだ諦めない!
これまで僕の夢を見てくれた人のうち、大切な二人がいなくなり、寂しく思うけどだからこそ諦めてはいけない。
必ずしもひとつの夢を追いかけ続けることが幸せとは思わないが、少なくとも今はそれ以外に幸せは見いだせない
結婚、子供、車
たくさん楽しいものはあるかもしれない
でも僕にとっての価値はそれほど高くはない
Fun ではなくinteresting が欲しい
これまで僕の夢を見てくれた人のうち、大切な二人がいなくなり、寂しく思うけどだからこそ諦めてはいけない。
必ずしもひとつの夢を追いかけ続けることが幸せとは思わないが、少なくとも今はそれ以外に幸せは見いだせない
結婚、子供、車
たくさん楽しいものはあるかもしれない
でも僕にとっての価値はそれほど高くはない
Fun ではなくinteresting が欲しい
My works
本日,またもや論文採択の通知が来た.
これにて,10月からの研究業績は
論文誌2本(1件査読中),国際会議3件(1件査読中),国内会議4件となった.
点数的には23点かな.
そして,すべてうまくいくとプラス12点が見込める.
異常でしょ.
今年も学内表彰はほぼ確定.
設立から3年間,継続的に受賞とか快挙でないかな?いや,そうでしょう!!
まぁ,そんなん言ってても「その後」がうまくいかないことには何の意味もないのだけれど.
ただ,今確実にビクトリーシーズンなので,何かしら大きな幸運がやってきるきがする.
【現在までの業績】
・論文誌 4 (査読中1,推薦済1)
・国際会議 5 (査読中1)
・国内会議 15
・受賞 5件
まだまだか.
今年はもうひとつ論文誌いきたいわ.
国際会議もあればいきたいな.
今度は是非ヨーロッパあたりで.
これにて,10月からの研究業績は
論文誌2本(1件査読中),国際会議3件(1件査読中),国内会議4件となった.
点数的には23点かな.
そして,すべてうまくいくとプラス12点が見込める.
異常でしょ.
今年も学内表彰はほぼ確定.
設立から3年間,継続的に受賞とか快挙でないかな?いや,そうでしょう!!
まぁ,そんなん言ってても「その後」がうまくいかないことには何の意味もないのだけれど.
ただ,今確実にビクトリーシーズンなので,何かしら大きな幸運がやってきるきがする.
【現在までの業績】
・論文誌 4 (査読中1,推薦済1)
・国際会議 5 (査読中1)
・国内会議 15
・受賞 5件
まだまだか.
今年はもうひとつ論文誌いきたいわ.
国際会議もあればいきたいな.
今度は是非ヨーロッパあたりで.
