【技術の勝利と全体の勝利 後編】


 タンホア鉄橋への爆撃は、ハノイへの戦略爆撃を中心とした「ラインバッカー作戦」という一連の空爆作戦として実施されました。

ラインバッカー作戦では、タンホア鉄橋以外の場所でも誘導爆弾が多数使用され、F-4、B-52といった米国の技術力を結集した航空機が大量に投入されました。

ラインバッカー作戦は、まさに米空軍が総力を投入した作戦となりました。驚くべきことに、米空軍は保有するB-52のうち半数をベトナムに投入しています。B-52は大陸間を飛翔して核攻撃を行うために開発された機体です。本来ならばソ連への核攻撃の切り札となっているべき機体を、ベトナムというアジアの小国に投入したのです。




 米空軍がその威信をかけて実施したラインバッカー作戦は、大成功を収めました。

空爆によって補給線に壊滅的な損害を被った北ベトナム軍は、ついに米国との交渉のテーブルにつくことを決意しました。ベトナム戦争を終結させるために実施されたラインバッカー作戦は、見事にその目的を達成したのです。



ですが、「ベトナム戦争の終結」とは、要するに米軍が(安全に)撤退するということです。米国は国際社会の信用を大きく損ない、国内が大混乱に陥っていたのに、その結末は「何も得るものなく撤退する」だけなのです。

技術レベルでは誘導爆弾の投入によって航空戦の歴史を変えるような大成功を収め、作戦レベルでも北ベトナム軍を行動不能に追い込んでいたにも関わらず戦争全体として得られた「成果」は、「なんとか俺を見逃してくれ!」と哀願するような無様な撤退でしかなかったのです。



そんなことって、あるのでしょうか?

米国(米空軍)としては、ほんとうにそれで良かったのでしょうか?

これほどまでに空爆が効果を挙げているなら、そのままハノイまで進撃できたのではないでしょうか?


戦争に詳しくない人は、釈然としない気持ちになるでしょう。



でも、それで良かったのです。
それが、「戦争」の実態なのです。


空爆がどれほど効果を挙げていようと、地上軍でハノイまで攻め込むことは、絶対に不可能です。




その理由は、「戦争は外交の一手段」だからです。

ラインバッカー作戦が成功した理由は、ミクロで見れば確かに技術の勝利です。しかしマクロで見れば、米空軍に対してほとんどフリーハンドで爆撃することを許可した、外交官たちの勝利に依るところが非常に大きいとわかります。中ソ対立につけこんだ外交的な裏付けがあったからこそ、米国はハノイに対する本格的な爆撃を実行することができたのです。もし何も考えずに爆撃していたら、間違いなく中国とソ連の本格的な軍事介入を招き、国内世論は戦争の続行を許さなかったでしょう。ましてや地上軍をハノイに向けて進撃させるとしたら、北ベトナムの必死の抵抗によって生じる大量の犠牲者を国民は絶対に容認しません。そもそも、「地上戦闘を回避できる」という触れ込みで空爆は開始されたのです。

そして、北ベトナムが実際に交渉のテーブルについた理由も、外交的に中ソからの支援(機雷への接触や爆撃の危険を冒した支援)を得られなくなったから、ということが最大の理由です。



これらの外交的な条件がなかったならば、どれほど技術的に輝かしい勝利を得たとしても無意味であったばかりか、その輝かしさ故に、さらに悪い結果を招いていた可能性があります。外交、そして国内外を包括した「政治」によって適切に「意味づけ」されていなければ、技術面での勝利は運転手を失って暴走する機関車に過ぎません。


一方で、現実的に実行不可能な「意味づけ」をされても現場を押しつぶすだけで無意味です。その点、このときに米空軍は「フリーハンドでやらせてくれないなら、効果的な爆撃は不可能」ということをきちんと政治家に伝えています。軍人と文官が互いに交渉することで効果的な作戦を行うことができた、非常に良い例でもあります(まあ、そもそも最初の段階で「空爆だけで北ベトナムを潰せる!」と豪語していたのは米空軍自身なので、最後だけ上手くやったからといって免責されるものではありませんが)



技術レベルで輝かしい勝利を収めていたからといって、戦争全体が同じような輝かしい勝利となるかどうかは、全くわからないのです。

それは裏を返せば、技術で劣っている側にも、戦争全体としての勝機はいくらでもありうる、ということです。