【クラウゼヴィッツ「戦争論」を読む その1(戦争とはいかなるものか)】


 「戦争論」は、戦争に関する書籍の中でも最重要のものです。
 「戦争論」では「戦争とはいかなるものか?」ということが論じられております。


 戦術や戦略に関する書籍はたくさんありますが、そのほとんどは、「いかにして戦争に勝つか」について論じられたものです。これらはいわゆるハウツー本、つまり「人生を成功させるための××の法則」の類です。

 

それに対して「戦争論」は、「人生とは何のためにあるのか」「人は生きる上でどのような悩みを抱くのか」といった哲学書に近い内容の書籍です。

 

「Hou to win」「What is war」ともいわれるこの対比は、戦争を考える上で非常に重要なものになります。

 

 クラウゼヴィッツは戦争論の前文「方針」のなかで、優秀な将軍が一人で判断するだけなら経験と直観だけで十分であるが、「会議の席上で同僚や部下を説得するということになると」戦争に関する理論が必要になってくる、と述べています。

 

クラウゼヴィッツは「必勝法」というものの存在を否定しています。なので、戦争論のなかでも「勝つためにはこうするべき」ということは述べられておりません。戦争論は、あくまで議論のための道具に過ぎないのです。多くのクラウゼヴィッツ批判は、この点を理解していません。

 


 「時代が変わったのだから、クラウゼヴィッツは現代では通用しない」という批判があります。
 勝つための方法論であれば、時代に応じて変化してゆくでしょう。しかし、「戦争というものの本質」は、人間の性質が根本的に変わらない限り、過去も現在も未来も変わらないと、私は考えます。この二百年間、テクノロジーは大きく変化しました。しかし、人間のやっていることは、いつの時代も大差ないのではないでしょうか?

 

戦争論のなかで、クラウゼヴィッツは「戦争」を次のように定義しています。
「戦争は一種の強力行為であり、その旨とするところは相手に我が方の意志を強要するにある」

 

 

 

参考文献:
クラウゼヴィッツ著 篠田英雄訳「戦争論」
(岩波版↑ と中公文庫版がありますが、中公版のほうが訳がわかりやすいという人もいます。確かに、岩波版は哲学書のような訳です。)